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親子は、なりたくてなるものではない ー私の男(桜庭一樹)を読んでー

 

私の男 (文春文庫)

直木賞受賞作


 僕はあまり恋愛小説を読まない。人の恋愛に興味がなく、小説で語られる恋愛にそれほど面白みを感じないからだ。

 過去に本屋で何度も「私の男」を手に取った。しかしレジに持って行くことはなかった。その理由が裏表紙に「愛に飢えた親子が超えた禁忌」と書かれてあったからだ。この本に対して「親子の禁断の愛を描いた小説」というイメージを抱いていた。ではなぜ今回読もうと思ったのか。それは直木賞受賞作だからだ。恋愛小説が好きではないとはいえ、直木賞受賞作なのだから読んでおいたほうがいいだろう、そんな消極的な理由で読み始めた。

 


●恋愛小説ではなかった

 結論から言うと恋愛小説ではなかった。いや、恋愛小説でもあり、ミステリー小説でもあり、親子小説でもある。様々な読み方ができる小説だった。

 その理由は構成にある。

 本作は、娘である花と養父である淳悟の関係を、現在(花が二十四歳、淳悟が四十歳)から二人が出会った過去(花が九歳、淳悟が二十四歳)までさかのぼって描いている。全部で六章ある中でも重要なのが第一章だ。第一章にはその後へとつながる伏線が詰まっている。そして章が進むにつれて第一章で蒔かれた種が芽を出し花を咲かせ実をつける。この第一章で蒔かれる種が実に様々なのだ。その一部を抜粋しよう。

「けっこん、おめでとう。花」

 



腐野淳悟は、わたしの養父だ。

 



震災でとつぜん家族をなくした。

 

 

「殺したからね」

 

 

養父で、罪人。

 

 

離れられない。そばにいたい。もう、離れないといけない。でも、できるだろうか……。

 

 

美郎に助けられて、結婚してここを出ていっても、うまくいかないのかもしれない。

 

 

私の男の、せいなのだろうか。なにもかも取りかえしがつかないのだろうか。

 



わたしたちのあいだにもう欲望はなかった。

 



「一緒に逃げたんだよな。こんな遠くまで。あれから、もう八年か」

 



わたしは、できるならまともな人間に生まれ変わりたかった。

 



淳悟はとうとうわたしの前からいなくなったのだった。

 



 殺人とは何か、なぜ花は淳悟から離れたいのか、一方でそばにいたいと思う花の心理とは、まともな人間とは何か、なぜ淳悟はいなくなったのか、第一章を読み終えて謎と共に様々な感情が湧き起こってきた。これは僕が思っているような小説ではない、普通の男女の恋愛話ではない。


●構成を読む

 第二章以降、過去へと戻りながら謎への答えや花と淳悟の「奇妙な」関係性が描かれていく。

 ここで簡単に各章を説明しよう。

第一章:2008年 6月
花、二十四歳。淳悟、四十歳。
花の目線で、花と美郎の結婚の話から始まり、先ほど書いた伏線の数々が語られる。淳悟が目の前から姿を消し、花は誰から何を奪って生きていけばいいのかと自問する。

第二章:2005年 11月
花、二十一歳。淳悟、三十七歳。
美郎の目線で、花との出会いや美郎が初めて淳悟を見た感想、美郎から見た花と淳悟の関係について、そこから美郎と自信の父親との関係について語られる。

第三章:2000年 7月
花、十六歳。淳悟、三十二歳。
淳悟の目線で、当時の花と自分の関係、そして淳悟が犯した罪が語られる。

第四章:2000年 1月
花、十五歳。淳悟、三十一歳。
花の目線で、花と淳悟の関係や花が犯した罪など、上京前に二人が住んでいた北海道紋別での出来事が語られる。なぜ上京することになったのか、淳悟との関係を花がどう思っているのかなど思春期の花の葛藤が見て取れる。


第五章:1996年 3月
花、十二歳。淳悟、二十七歳。
淳悟のかつての恋人である小町の目線で、淳悟と花の関係性の不気味さが語られる。小町は二人の関係を「グロテスク」と表現し、花が淳悟に魂のようなものを奪われていることに気づく。

第六章:1993年 7月
花、九歳。淳悟、二十五歳。
花の目線で淳悟との出会いが語られる。当時花は奥尻島に住んでいたが地震で家族を失い淳悟に引き取られることになる。そしてなぜ淳悟と花が「関係」を持つことになったのか明らかになる。

 もしこの話が時系列通りに第六章から始まっていたら「禁断の愛」が作品の土台になり、その後の殺人や家族や親子の話がどこか添え物のようになってしまっていただろう。第一章でいくつもの謎を提示し、それを回収することで各章にインパクトができ、さらなる伏線を張ることで読者が様々な感情を抱きながらも先へと読み進めたくなる構成になっている。


●美郎と小町の役割

 構成のほかに小説に奥行きを与えているのが第二章の美郎と第五章の小町の語りだ。

 花と淳悟について美郎と小町に語らせることで、奇妙な親子関係を外部から眺め批評する役割を担わせている。美郎と小町の語りがなければこの物語は読者を置き去りにし奇妙なまま進んでいただろう。美郎と小町が、読者が花と淳悟の関係に抱く不安や不気味さを、そこから生まれる物語の特異さを中和しているように感じた。


●この親子をどう理解するか

 奇妙な親子関係と書いたが僕は本作を読み、二人の関係性を理解できたかどうか自信がない。読了後に二度ほど読み返してみたが、分かったような分からないようなモヤモヤとした感覚がいつまでも残った。それは二人の性的な関係に対するものではなく、なぜ親子がこういう求め方をするのかということだ。もちろん二人のバックグラウンドが影響していることは明らかだ。

 子供の頃、母親を失った淳悟は花に心身ともに母を求める。母に愛されたかったという想いを花にぶつけるその表現が結果的に「やってはいけないこと」という狂気へとつながる。

 子供の頃に地震で家族を失くした花は、自分だけをこの世に置いていった家族への恨みと嫉妬を抱きながら淳悟に血のつながりを求める。そのために、花は淳悟の狂気に恐れながらも淳悟の母になり淳悟を愛することを選ぶ。花が淳悟から離れられなくなった理由のひとつが淳悟が発した「血の人形」という言葉だろう。この言葉が花にとって「呪い」となり以降の人生を淳悟に捧げることになってしまう。

 二人はお互いに愛し合っていたかもしれないが、求めたものは微妙に違うものだった。淳悟は母を、花は親子を求めた。花は成長するにつれてその「ずれ」に気づき始めていたのだろう。そして、淳悟の元を離れる決断をしたのが第一章だ。第一章の最後に誰から何を奪って生きれば、とあるがこれまで花が淳悟から何かを奪ったことがあっただろうか。小町が言うようにむしろ奪ったのは淳悟の方だ。九歳の少女の魂を奪い、代わりに母親の魂を背負わせる。淳悟が花の前から姿を消したのはその負い目があったからだろう。しかし、もし九歳の頃、花がしっかりと淳悟を拒否していれば淳悟も別の生き方が、二人にとってまともな生き方があったかもしれない。そういう意味では花が淳悟の人生を奪ったとも言える。

 しかし、こう言ってしまうと、元も子もないのだが、二人の気持ちは二人にしか理解できない。もし、ほかの誰かが二人と同じような境遇に置かれたとしても、このような親子にはならないだろう。この二人だからこそ、こうなってしまったのだ。僕がなんとか理解しようと文章にまとめてみたところで、モヤモヤが消えることはない。


●「私の男」の男とは

 通常の家族において、父は父であり、息子は息子であり、兄弟は兄弟であり、男ではない。母は母であり、娘は娘であり、姉妹は姉妹であり、女ではない。つまり家族で性別を強く意識することはない。性別の前に関係性を意識するからだ。

 ではタイトルの「男」とはなんだろう。花にとって淳吾は父であり息子であり愛すべき人でもあった。その複雑な関係が淳吾を「男」にしてしまったのだろう。淳吾も然り。花は娘であり母であり愛すべき人、「私の女」だった。

 血が繋がっていたにもかかわらず二人の過去が互いの関係性に性別を持ち込んでしまった。花と淳吾は互いを愛し必死に親子になろうとしたが男女という性別がそれを邪魔し、二人の関係を快く思わない人たちがまた邪魔をした。二人が犯した殺人も親子になるために必要なことだったのだろう。

 二人は親子になれたのか。花は結婚を選び淳悟から離れ、淳悟は姿を消した。離ればなれになってしまったように思えるが、実はそれが二人が親子になる唯一の方法だったのではないだろうか。

 淳悟が言っている。

「親子ってのはさ、いつか、離れていくものなんだ」

 



●テーマやジャンルを考えずに読む

 結果的に僕はこの小説をうまく理解できなかったわけだが、その原因の一端は僕の小説の読み方にもあると思った。

 僕は小説を読むときにこの小説のテーマは何だろう、どういうジャンルだろうと小説の枠組みのようなものを気にしながら読んでしまう癖がある。結果的にそれが先入観となり本の楽しみ方を限定してしまうことになっているのだ。

 テーマやジャンルや理解や共感だけが小説ではなく、その世界観をどれだけ楽しめるか、登場人物の生き方をどれだけ受け入れられるかといった、もっとプリミティブな感覚で読むことが大事だと今回の読書で感じた。

 

 

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

 

 

ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない〜ロックマン完全制覇プロジェクトを終えて〜

 カプコンを代表するアクションゲーム「ロックマン」が今年30周年を迎える。そんな記念すべき年にナンバリングタイトルの最新作となる「ロックマン11」が、前作「ロックマン10」から約8年ぶりに発売される。

 

ロックマンとの出会い

 

 初代ロックマンが発売されたのは1987年。僕が6歳の頃だ。ロックマンを知ったのはテレビCMかそれともファミ通か、はっきりとは覚えていない。とにかくロックマンというゲームを見た瞬間に心が躍った。欲しい、とにかく欲しい。このゲームで遊びたい。そのことを誰に伝えたのか記憶していないがおそらく父には何度もロックマンのことを話していたのだろう。 

 

 ある夜、風呂に入っていると仕事から帰ってきた父が大きな声で僕の名前を何度も呼んだ。ガラッと風呂のドアを開けるともう一度僕の名前を呼んだ。シャンプーが浸みないように薄く目を開けて振り向いた。父の手にはロックマンの箱が握られていた。  

 

 風呂から上がり、晩ご飯を食べている間、テレビに目も向けずひたすら取扱説明書を読んでいた。操作方法、アイテムの説明、そして魅力的なボスたち。ロックマンの最大の魅力、それはボスを倒すとそのボスの武器をロックマンが使えるようになることだ。いったいこのボスを倒すとロックマンはどんな武器を手に入れるのだろう。独り言のように僕は語っていたのかもしれない。夜のゲームは禁止というルールを作った母がそんな僕を見かねてファミコンの電源を入れることを許可してくれたのだった。

 

●衝撃のゲームプレイ

 

 僕が最初に選んだボスはアイスマンだった。ビジュアルから弱そうな印象を受けたからだと思う。しかしその予想は見事に外れることになる。とにかくステージが難しいのだ。消える足場の法則性を見つけるほどの思考能力を六歳の僕は身につけていなかった。

 

 アイスマンをあきらめ、次に挑んだのがカットマンだった。パンツ姿がなんだか弱そうに見えたからだろうか。なんとかボスまで行き着き、そして撃破。このとき僕の胸に浮かんだ感情は、あれほどボスの武器を使うことを楽しみにしていたにも関わらず「喜び」ではなく「不安」だった。

 

 難しすぎる。ステージもボスとの対戦もとてもじゃないが楽しめない。

 

 その後、兄と父の力を借りてボンバーマン(あるいはガッツマンだったか)を倒したがそこが限界だった。ほかのステージに挑戦するもボスまでたどり着けずにゲームオーバーになってしまう。そして初代ロックマンにはセーブ機能がない。日を改めてプレイするとまた一からやり直しだ。僕の心は完全に折れた。父には申し訳ないが買ってから一週間ほどでプレイしなくなってしまった。その後、僕が自分自身でロックマンを買うことはなかった。

 

●ボスキャラコンテストへの応募

 

 とは言ってもまったくプレイしなかったわけではない。同じようにロックマンが好きでシリーズを買っていた友達の家に行きみんながワイワイ遊ぶのを後ろで眺め、ときにコントローラーを握らせてもらったこともあった(すぐに一機失った)。友達の家に集まった腕自慢でもクリアは容易ではなく、皆でああでもないこうでもないと言いながら遊んでいるのを感心しながら眺めていた。

 

 彼らはこんなにも難しいゲームになぜ魅了されたのか。それはやはりボスの存在だろう。シリーズごとに様々な要素をモチーフに登場するボスはロックマンよりもかっこよく見えた。

 

 それほど熱心にプレイしなかった僕だがボスキャラコンテストにはよく応募していた。自分で考えたボスのイラストをハガキの裏に書き何枚も何枚も応募した記憶がある。ときに一人でときに友達と集まって語り合いながらボスを考える時間はゲームをプレイしている時間よりも楽しかった。

 

 あるとき「ダークロックマン」というロックマンを悪者にしたボスを思いつき「これはいける!」と興奮したのだが、雑誌のロックマンボスキャラコンテスト特集ページに「悪いアイデアの例」として「ロックマンを悪役にしたボス」というのが掲載されているのを見て自分のセンスのなさを痛感した。このアイデアは過去のコンテストで何度も投稿されているらしく「使い古されたアイデア」だったのだ。そもそもこの悪役のロックマンは初代の後半で登場している。つまりこのアイデアの応募が多かったということは、いかに子供たちが後半までたどり着けなかったかを意味していた。

 

●完全制覇プロジェクトへ

 

 最後に友達の家でロックマンを見たのはおそらく「6」か「7」だったと思う。スーファミで発売されたロックマンXは少し遊んだだろうか。このように僕のロックマンの記憶は断片的でしかない。

 

 「11」が発売されると知った時も「ロックマンって10まで出てたの?」ぐらい僕にとっては遠い存在になっていた。とはいえやはり最新作しかもグラフィックが大幅に進化したロックマンを見ると6歳の頃抱いたドキドキとわくわくが蘇ってきた。これは絶対買う!絶対プレイする!と思った瞬間にどこか後ろめたい気持ちが心の隙間にじわっと染みた。

 

 途中で放り出してロックマンと真正面から向き合ったことのない人間が何を言っているんだ。30周年だからって、ちょっとグラフィックが良くなったからって、これじゃ“にわか”じゃないか。「11」をプレイする前にやることがあるだろう。そうだ、これまでのナンバリングタイトルをクリアしてこそ心から「僕はロックマンが好きです!新作を楽しみにしていました!」と胸を張って言える。

 

 よし、「ロックマン」から「ロックマン10」までの10作品すべてをクリアしよう。

 

 こうして僕の「ロックマン完全制覇プロジェクト」は始まった。

 

ファミコン世代の子供たちのゲームのうまさ

 

 初代ロックマンの音と映像を見て懐かしさがこみ上げる。あれから30年も経っているせいか全く歯が立たなかった嫌な思い出が蘇ることもなくスムーズに入っていけた。ただプレイした感想は30年前と変わらなかった。

 

「ムズいなあ…」

 

36歳の自分が難しいと感じるのだ。6歳の子供がクリアできるわけがない。しかし当時の子供達はこの難易度のロックマンを頑張って自力でクリアしていたのだ。攻略情報もそれほどない時代にこの難しさに文句を言うこともなくなんとしてでもクリアしてやるというやる気だけでプレイし続けていたのだ。そう思うとファミコン世代の子供たちのゲームのうまさに驚く。

 

●高難度が達成感を生む

 

 なぜ当時の子供たちはこの難しいゲームを途中で投げ出さなかったのか。それは難しさがそのまま楽しさになっていたからだと思う。あいにく僕はそれを感じることができない甘ちゃんゲーマーだったわけだが、難しいステージを乗り切る、強いボスを倒す、あいつよりも先にクリアする、といった難しさの先にある「達成感」がゲームの楽しさであり面白さだったのだ。

 

●ボス中毒

 

 ロックマンの難しさを支えていた要素のひとつがやはり「ボス」だろう。ゲームでボスといえば最後の最後に出てくるあまりお目にかかれない存在だ。しかしロックマンではゲームスタート時からボスのビジュアルも名前も分かっている。いったいこのボスはどんなボスなんだ?見たい!そのためにはステージをクリアしないといけない、けど難しい、けどボスが見たい!この中毒的なサイクルが出来上がる。そして、ボスが強い、倒せない、けど倒さないとこのボスの武器を使うことができない、倒さないといけない!ボス戦においてもまたサイクルが出来上がる。難しさよりもボスへの欲求が上回っていたのだ。

 

 難しいゲームをクリアした時に得られる達成感とボスの存在が子供たちをプレイへと向かわせた。

 

●子供に媚びない大人たち

 

 このゲームに挑戦する子供たちもすごいが、作った大人たちもすごい。当たり前だが、このゲームを作っていたのは大人たちだ。子供たちがプレイすることを知っていながらこのゲームバランスにする大人たちの気が知れないとゲームが下手な僕は思ってしまう。けれど大人たちもおそらく難しいのは承知で、クリアできるものならクリアしてみろと子供たちへの挑戦状のつもりで作っていたのだと思う。それと同時に、たとえ難しくてもクリアしてくれるはずだというプレイヤーに対する信頼もあったのだろう。子供たちも大人たちからの挑戦を真正面から受け止めてプレイしていたのだろう。

 

 開発者とユーザーの理想の関係がそこにはあった。

 

●ボスラッシュはやりすぎ

 

 そうは言ってもやはり「おい、大人たち、やりすぎだろ!」と思うことがある。

 

 「ボスラッシュ」だ。

 

 ラスボスの前に立ちはだかるロックマンお馴染みの最難関ボスラッシュ。一度倒した6体あるいは8体のボスともう一度戦わなければならない。開発者の心理としては自分の子を崖から落とすライオンの心理だろうか。今回10作品プレイしたがいつもボスラッシュでため息をつき大げさでもなんでもなく絶望と向き合った。 初代ロックマンで初めてボスラッシュを経験した子供たちはきっと「どうして…」と呟きその絶望と戦ったに違いない。その絶望を乗り越えた当時の子供たちはゲームがうまいだけでなくハートも強かったはずだ。

 

●難しさを決める三つの要素

 

 ロックマンの何が難しいのか。それは大きく三つの要素に分類される。これはロックマンに限ったことではなくアクションゲーム全般に言えることかもしれない。

 

1:覚えゲーである

 

 ロックマン覚えゲーである。まずはこれを知らないと痛い目にあう。

 

 目の前に穴がある。先に進むためにジャンプで飛び越えようとすると穴から出現した敵に当たり落下して即死。穴から敵が出てくることを知らなかったから死んだのだ。知っていれば死んでいなかった。 このように要所要所で知らないから死ぬという場面に出くわす。敵の出現場所やトラップの位置などとてもじゃないが初見でかわすことは不可能だ。完全制覇プロジェクトの間、僕は何度も嘆いた。

 

「初見じゃムリだろう!!」

 

2:最適解のプレイを求められる

 

 ロックマンの操作はとてもシンプルだ。ロックマンを動かす十字キーとショットボタンとジャンプボタン、基本的にはこれだけだ。しかし、ここしかないというタイミングでジャンプしないといけなかったり、足場ギリギリに立ってジャンプしないと届かなかったり、かと思えばボタンを押しすぎるとジャンプしすぎて死んでしまったり、普通のアクションゲームならこれくらいで大丈夫だよねという遊びの部分が少ない。常に「最適解」のプレイを求められる。

 

 例えばラッシュジェットがなければ絶対にクリアできないエリアで、もしラッシュジェットのゲージが切れていたら、もう先へは進めない。ゲームオーバーになるまで自ら死に最初からやり直すしかないのだ。

 

 最適解を導き出せない者に救済はない。

 

「鬼畜か…」

 

3:ボスやザコキャラの動きが数学的に難しい

 

 ロックマンは基本的に左右にしかショットを撃てない。それなのに敵は二次関数曲線と三次関数曲線を組み合わせたような動きで迫ってくる。しかもよく分からない範囲の変数を持ちながら。ロックマンが打ち落とせない真上から、真下から、微妙な角度の斜め上から、微妙な角度の斜め下からやってくる。ロックマンはなすすべもなくボコボコにされるのだ。

 

 ボスの動きも難しい。突進をジャンプで避けようとすると急に立ち止まり攻撃をしてきたり、ふわっと空中に浮いたと思ったら突然突進してきたり。ボスの動きについては1の覚えゲーと2の最適解を組み合わせた難しさがある。動きを知り、しかも最適な操作をしないと倒すことは難しい(弱点となる武器を持っていれば話は別だが)。

 

 ステージ中もボス中も僕は何度もため息と供につぶやいた。

 

「数学的にムリだろ…」

 

 1、2、3を知っているからといって楽にクリアできるわけではない。これらを自分のものにするためには反復練習が必要になる。覚えるべきところを覚え、最適な操作ができるまで何度も何度もゲームオーバーを繰り返すのだ。

 

 これが、ロックマンだ。

 

ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない

 

 難しさを決めるこの三つの要素を考えているときに僕はやっとあることに気づいた。

 

 ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない。

 

 横スクロールアクションだからと言ってマリオのようにプレイしてはならないのだ。Bダッシュで適当にジャンプしていればクリアできるようには作られていない。ロックマンというゲームは、ステージごと、エリアごと、ザコキャラごと、ボスごとにきちんと対応し考え戦略を立てながら感覚的にではなく一歩ずつ慎重に進めるゲームなのだ。

 

 僕はこれに気づかずにずっとプレイしていた。目の前の穴を何も考えずに飛び越えようとして真下から出現した敵に倒され激怒したり、ロックバスターを打ちながらとりあえず走ったり。いつも深夜にプレイしていたことも影響していただろう、あまり深く考えずにとりあえず前に進めばクリアできるだろうなんて甘い考えで、マリオをプレイするような感覚でいたのだ。

 

 そんな自分の甘さに気づいたのが「ロックマン10」をプレイしているときだった。気づくのが遅すぎると思うかもしれないが、僕はむしろこのギリギリのタイミングで気づけて良かったと安堵した。

 

ロックマンを連続でプレイしてはいけない

 

 今回ロックマンシリーズを10作品プレイして得た教訓はこれだけではない。もうひとつ得た教訓は、ロックマンを連続でプレイしてはいけない、ということだ。

 

 たとえロックマンは「こういうゲーム」とわかっていたとしてもステージをクリアし、ボスを倒し、ボスラッシュを乗り越え、ワイリーと戦うことを繰り返していると神経がすり減っていく。一作クリアしたらしばらく間を置き、忘れた頃にまたプレイするほうがいい。そのほうがロックマンの難しさを懐かしみながら楽しみながらプレイできる。

 

 今回のプロジェクトは2月から始め8ヶ月ほどかけて10作品をクリアした。ずいぶん時間をかけたように見えるが前半5作品のペースが遅すぎたせいで、後半の5作品は立て続けにクリアしなければならなかった。毎週のように夜中にこの難しさと対峙してしまうと、ロックマンの魅力なんて感じる暇もなく、ただただ苦痛のみが襲ってきた。なんとかギリギリのところで踏みとどまったが、もしもう一作品、しかもマリオのようにプレイしていたら、おそらくロックマンを嫌いになってしまっていただろう。

 

●難しさと楽しさの境界線とは

 

 難しさは楽しさにつながると書いたが、そこの境界線はとても難しい。とくにロックマンは簡単にしすぎるとらしさがなくなり、難しくしすぎると新規のユーザーに受け入れられない可能性がある。最新作の「ロックマン11」はどのようなゲームバランスになっているのだろうか。どんなに難しくてもいい。僕はプレイする。10作品を通してロックマンとの向き合い方を覚えたのだから。

 

ロックマン クラシックス コレクション 1+2 - Switch
 

 

僕が短歌を詠む理由ーはじめての短歌(穂村弘)を読んでー

ある朝通勤電車の中で突然思った。

 短歌を詠もう。

 なぜか分からない。いつもと同じ代わり映えのしない朝を変えたかったのだと思う。その日が月曜日だったことも大きい。またいつもの一週間が始まる。この絶望をどうにか変えたかった。というより忘れたかった。当たり前のように通勤電車に乗り、当たり前のように会社に行く。変えられるはずもないことは分かっていた。せめて僕の心の中だけでも、通勤電車の中にいるときだけでも変えたかった。

 なぜ俳句ではなかったのか。世間ではあるテレビ番組をきっかけに俳句ブームが起きている。僕が短歌を選んだのは文字数だ。僕の頭の中に浮かんだ言葉を表現するには五七五では短すぎた。五七五七七、つまり三十一文字が必要だった。

 その日の朝、電車の中で考え、ツイッターに投稿した短歌がこれだ。

今週もtotoBIG外れ六億円ゲットならずに出社する朝

 毎週買っているサッカーくじがもし当たって六億円が手に入ればその日のうちに会社を辞めることができる。毎朝決まった時間に満員電車に乗る必要もなくなる。もちろん、当たるわけがないのだ。月曜日に起きるとまず結果を確認する。そして支度をして家を出る。それだけの歌だ。人が聞いたら馬鹿にするだろう、本気で六億円当てようと思っているなんて。けれど、こうして詠むことで代わり映えのしない毎日に少しだけ抵抗することができたような気がした。

 この日以来、平日の通勤電車の中で一つ短歌を詠もうと決めた。詠もうと決めたのは良かったがなんとなく五七五七七のリズムに合わせて言葉を並べるだけの毎日が続いた。会社のこと、仕事のこと、お金のことなど、身近なことばかりが頭に浮かび、なかなか毎日という絶望から抜け出すことができなかった。

 数日経ったある日、本屋でこの本を見つけて手に取った。短歌を詠み始めたはいいものの、どう詠めばいいのか、なぜ短歌を詠むのか根本的な疑問が頭から離れなかった。そんな僕に「はじめての短歌」というタイトルのこの本はうってつけだった

 なぜ短歌を詠むのか、その答えがすぐに書かれてあった。

 短歌を詠む理由、それは「生きる」ためだ。「生きのびる」ためではなく。


「生きのびる」とは何か。僕の代わり映えのしない毎日のことだ。経済的で常識的で効率的であろうとすること、誰もが知って理解していること、つまり社会的であること。「生きのびる」ためにはそれらの社会的な価値がとても重要になる。駅のアナウンス、コンビニ、必ず開く自動ドア、出世、会社の売り上げ、急いでもいないのに急行に乗ること、興味もないのにタダだから行列に並ぶこと、お一人様三個までと言われたら三個取ること。


 これらの「生きのびる」要素は、自分の価値観や感覚に関係なく僕たちに社会と繋がることを強いる。「強いる」という言葉を使ったのは僕らのもうひとつの生である「生きる」を「生きのびる」が侵食しつつあるからだ。


 僕たちは、社会的な「生きのびる」生活と個人的な「生きる」生活を行ったり来たりしている。ひとたび家を出れば「生きのびる」ための自分になり、家に帰れば「生きる」ための自分になる。けれど歳を追うごとに「生きのびる」ための自分が占める割合は大きくなっていく。それは社会性を身につけ、便利や効率といったラクを学ぶからだ。


 毎日の電車の中で思っていた”人生を無駄にしている”という感覚はこの「生きのびる」が強すぎるせいだったのだ。そういった「生きのびる」要素を排除したところに短歌を詠む理由である「生きる」がある。本当の僕たちの人間としての意味がある。
 

「生きのびる」ための感覚ともう一つ、短歌を詠む上で障壁になっているのが、僕の職業だ。


 僕の職業は、企業の商品やサービスを広告するための記事、いわゆる記事広告を専門に書くライターだ。


 そこでは企業が商品を売り利益を上げるための言葉、つまり「生きのびる」ための言葉ばかりが使われる。それは僕が給料をもらうための言葉でもある。クリックしやすい言い回しか、文字数は多すぎないか、クライアントが指定したNGワードは使っていないか、ターゲットに適しているか、「生きのびる」ための言葉や書き方がばかりが要求される。こうも毎日「生きのびる」ための言葉ばかりを使っていては短歌を書くときに感覚を「生きる」にしても言葉が「生きる」に切り替わってくれないのだ。


 自分の言葉を失いそうだ。


 たまにそう思うことがある。それは僕が「生きのびる」ための社会のシステムや「生きのびる」ための言語に飲み込まれはじめているからだろう。その流れから脱出するために無意識に僕の危機管理能力が発揮されたのかもしれない。自分の言葉を、「生きる」ための言葉を取り戻すために短歌が必要だったのだ。


 とはいえ、今まで生活の、そして思考の中心だった「生きのびる」ための感覚と言語を「生きる」ための感覚と言語に切り替えるのは簡単なことではない。電車の中でなんとか「生きる」感覚を探っても会社に着けばとたんに「生きのびる」ための自分が顔を出す。経済に効率に常識に社会に、まとわりつかれる。


「生きのびる」ための毎日は虚しく疲れる。
誰も知らない認めない得しないそんな自分だけの「生きる」感覚を取り戻すために僕は短歌を詠み続ける。


 花は枯れる。だから枯れない花を作ろう。ではなく、花が枯れることを受け入れ、そこから広がる過去や未来への悲しさや美しさを感じ取るのだ。

 

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人の背景になることー夕子ちゃんの近道(長嶋有)を読んでー

 小説ってなんだろう。どんな小説を読みたいだろう。もし自分が小説を書くとしたら何を書きたいだろう。そんなことを考えていた。答えがあるわけではないが、それを見つけたいと思っていた。そして僕が出した答えは「生き方」だった。小説は「生き方」を描いたものではないだろうか。「生き方」を描いた小説が僕は好きなのではないか。「生き方」という言葉も漠然としているが僕の中ではしっくりくる言葉だった。

 

 長島有の作品を久しぶりに読んだ。読み終えてこういう小説を僕は書きたいのではないだろうかとまず思った。つまりこの「夕子ちゃんの近道」は人の生き方を描いた作品だと僕は思ったのだ。

 

 「夕子ちゃんの近道」は表題作を含む全七作の連作短編集だ。骨董品屋「フラココ屋」の二階に居候する主人公「僕」の目線で「僕」自身とその周辺の人々の生き方が語られる。フラココ屋の店長、近所に住む瑞枝さん、フラココ屋の物件の大家の八木さん、八木さんの孫娘の朝子さんと夕子ちゃん、フランス人のフランソワーズ、皆濃い人たちばかりだ。濃いというのはキャラのことではない。生き方が濃いのだ。

 

 生き方が濃いといってもこの作品は何か大きな出来事が起こるわけではない。瑞枝さんが原付の免許を取ったり、夕子ちゃんから近道を教えてもらったり、店長の前カノらしいフランソワーズに出会ったり、芸大に通う朝子さんが卒業制作で箱を作ったり。夕子ちゃんが、彼女が通う定時制高校の教師の子を妊娠するという出来事は起こるが、それを物語的に描写することはない。徹底して登場人物の「生き方」に重きを置いて語られる。

 

 主人公の「僕」は謎多き人物だ。物語の中で名前や年齢が明かされることはない(年齢については、それほど若くはない、青年ではない、といった描写があるがはっきりとした年齢は明かされない)。過去に何かあったことは分かるがそれが明確に語られることはなく、飄々と今を生きている。そのせいか瑞枝さんから「背景みたいな透明な人間だね」と表される。褒め言葉なのか、そうではないのか一瞬悩むがこれは褒め言葉だろうと僕は思う。「僕」という背景があるからこそ、ほかの登場人物たちの「生き方」がくっきりと浮かび上がるのだ。登場人物たちは「僕」を背景にして自分の「生き方」を見つけていく。

 

 「僕」がみんなの「背景」になる理由はおそらく二つあると思う。ひとつは「孤独」だ。

 

 孤独と言ってもストレートな孤独ではなく、そこからにじみ出る「優しさ」のようなものだろうか。「優しさ」といっても手を差し伸べる優しさではなく、何もせずにただ見守り受け入れる優しさ、人の寂しさに寄り添える優しさだ。

 

 瑞枝さんが「僕」のために深夜に石油ストーブを持ってきてくれた時、「僕」は感動し瑞枝さんを抱きしめたくなる。「僕」は何に感動したのかわからないと言っているが、おそらく瑞枝さんの孤独を思ってのことだと思う。ほかにも直接的ではないが、「僕」の優しさを感じられる「僕」独特の感覚がいくつかある。

 

 年少の知り合いにため口を使ってしまう自分に対して「オレに敬語を使わせろよ」と思う感覚。

 

 長いスカートを見ると寂しい気持ちになりなぜか別れを思ってしまう感覚。

 

 孤独でいるからこそ「僕」には周りの人たちがはっきりと見える。しかしそこから湧き出る感情は嫉妬や妬みではなく「僕」独特の優しさなのだ。その優しさはなかなか周りの人たちには伝わっていないけれど、知らず知らずのうちに感じ取っているとは思う。自分の生活に安心できる背景がある。だからこそ、周りの人たちは活き活きと自分の「生」を生きられるのだ。

 

 もうひとつは「僕」の「時間」の感覚が希薄なことだ。止まっているものは背景になる。しかし、生きるとは、ある意味時間との闘いだ。過去を背負い、未来に期待、あるいは悲観して生きていくものだ。それが「僕」にはあまりない。多少過去に背負っているものがあるが、「もう」という感慨を抱いたことがないのだ。「僕」はおそらく時間を忘れたのだと思う。それはつまり「生き方」を忘れたとも言える。

 

 時間を忘れて生きられたらどんなに楽しいだろう。年齢による制限もなく、いつまでも可能性を持ったまま生きられたら。そんな「僕」の考えを三十五歳になる瑞枝さんが「それは錯覚だよ」と、「ヒトはナマモノ」だと自分に言い聞かせるように言う。ちょくちょく登場する瑞枝さんは「僕」と似ているようで似ていない。「僕」は瑞枝さんのことを「思考停止の友」と思っているが、美大生の朝子さんに影響されて人生を前に進め始める。瑞枝さんだけでなく周りの人たちも物語が進むにつれて時間と供に変わり始める。

 人が変わるとはどういうことか、それは背景が変わるということだ。今まで背景だった「僕」はそれを敏感に感じ取る。

 

「めいめいが勝手に、めいめいの勝手を生きている」 

 

 人の生き方を「僕」はそう表する。

 

 背景としての役割を終えた僕はみんなの前から姿を消すことにするのだが、それはできなかった。みんなに黙って出て行こうとするところを瑞枝さんに偶然見られたからだ。このときの感覚を「僕」はうまく説明できないと言っているがおそらく「僕」にとってまわりのみんなが背景になっていたのだと思う。時間の感慨がない、思考停止していると自分自身で思っていた「僕」だったが、実際は周りの人たちを背景にして少しずつ変わっていたのだ。そして周りの人に与えたように、「僕」も周りの人たちから知らず知らずのうちに優しさをもらっていたのだ。

 

 最後の章で「僕」は改めて生き方をこう表現する。

 

「旅」

 

 「僕」にとって生き方とは旅なのだ。旅には時間の概念がしっかりとある、そして停滞せずに常に動いている。みんなと供に過ごした時間は確実に過ぎ、確実に「僕」を変えた。「僕」の時間は動き出し、「僕」は「生き方」を思い出す。

 

 この小説を読み始めたときは自分が書きたい小説だと思ったが、読み終わる頃には自分も「僕」のような生き方をしてみたいと思うようになっていた。誰かの背景になり、その人の生き方をしっかりと浮かび上がらせ、そして誰かに背景になってもらい、自分の生き方を浮かび上がらせる。旅のように、時間と場所を自由に行き来しながら生きる。

 

 これまでの自分の生き方を振り返ってみると、旅というより瞬間瞬間で生きてきたように思う。この物語で言えば前半部分の時間の概念を持たない「僕」のように。そして気づけば三十六歳になっている。「ヒトはナマモノ」という瑞枝さんの言葉が重く響く。

 

 僕は誰かの背景になれているだろうか。愛する人、親兄弟、親友の背景になれているだろうか。そしてこれから旅するように生きられるだろうか。停滞せずに思考停止せずに。

すべてを理解できるなんて思わないようにー「犬婿入り」(多和田葉子)を読んでー

 わからない。なぜ太郎はみちこの家に来たのか。電報とは何か。なぜみちこはいきなり現れた太郎に動じないのか。なぜ太郎は犬に噛まれて人が変わったのか、松原とはゲイ仲間なのか。なぜみつこは扶希子に固執するのか。なぜ太郎と松原は一緒に、そしてみつこと扶希子は一緒に逃げたのか。とにかくわからないことだらけだ。

 

 何度も読み返した。これはどういう意味なんだろう。どこかに何かが隠れているはずだ。ノートに人間関係や周辺情報を書き出してもみた。しかし小説に書かれてあること以上の事実を書き出すことはできなかった。

 

 もうわからん。とりあえず今日は寝よう。深夜二時を回っていた。読書感想文を書こうと机につき二時間ほど経っていた。

 

 歯磨きをしながらブックカバーを外し裏表紙のあらすじを追うともなく目で追った。そこに書かれてある一文が目に留まった。

 

「都市の中に隠された民話的世界を新しい視点でとらえた作品」

 

 はっとした。わからない、理解できないと思っていたのは僕が僕の常識だけで考えていたからだった。

 

 この小説のタイトルは「犬婿入り」だ。「犬婿入り」とは作中で主人公みちこが自身が開いている私塾に通う子供たちに話して聞かせる昔話だ。お姫様のお世話係をしていた面倒臭がりな女性が用を足した後のお姫様のおしりを犬になめさせていた。そうしていればいつかお姫様と結婚できると言い聞かせられた犬が後にお姫様と結婚するという話だ。昔話ではありえないことが起こる。そしてそれを読んでも不思議に思わない。なぜ人と犬が話せるのか。なぜ人と犬が結婚できるのか。そんなことを考えながら昔話を聴く人はいない。

 

 ではなぜ小説になると理由や理解を求めてしまうのだろう。小説「犬婿入り」も同じように読めばいいのだ。そのためにタイトルが「犬婿入り」で作中に昔話「犬婿入り」が出てくるのだ。

 

 本作は主人公みつこが開いた私塾を舞台に、前半はそこにやって来る子供たちとみつこの日常や素性のよくわからないみちこの噂をする母親たちを描き、後半は突然みつこの前に現れる太郎とその周りの人たちを描いている。

 

 まず読み始めて思ったのが冒頭の文章の長さだ。書き出しはワンセンテンスで六行も費やしている。その後も長い文章が続く。読んでいると、分かったような分からないような気分になってくる。これは作者が狙った効果なのだろうか。文章を長くすることで、次から次へと情報が入ってきて、頭の中がいっぱいになり景色がぼんやりとしてくる。ちょっと不思議な光景が浮かび、ちょっと不思議な空間にいるような感覚になる。おそらく冒頭からすでに始まっていたのだ。現実から昔話的な世界へと導くためにそれは始まっていたのだ。

 

 そこに加えて塾に通う子供たちの母親がする噂話。母親たちはよくわからないみつこという女性をなんとか自分たちの常識の範囲内に納めようといろいろと噂をするのだが、その噂が真実なのかどうかは語られず、みつことその周囲は絶えず噂でぼんやりとし、確証のない話でどんどん埋め尽くされていく。そうしてみつこというよくわからない人間が出来上がる。

 

 そして太郎という不思議な男が突如現れる。「電報は届きましたか」とみちこに尋ね、みちこが首を横に振るといきなりみちこの同意も得ずに交わり始める。しかしこのような異常な展開にもかかわらずみちこはそれを受け入れ、以降一緒に暮らし始めるのだ。

 

 太郎の生態はまるで犬。太郎が犬のようになってしまった理由や太郎の素性は読み進めていくうちに明らかになるがすっきりと理解できるものではない。けれどそれでいいのだ。桃から桃太郎が生まれた時におじいさんとおばあさんは、なぜ桃から赤ん坊が?なんて思わずに喜んで育て始めた。それでいいのだ。もともとは潔癖症だった太郎も犬に噛まれてから犬のようになってしまっただけなのだ。しかし周りの人間はなかなかそれが理解できない。なぜ理解できないのかもわからない。理解できてそれで何が解決するのかもわからない。

 

 みちこが太郎を受け入れた理由はみちこ自身に犬的な部分があったからだろう。太郎の唯一の趣味はみちこの体のニオイを嗅ぐことだった。太郎にニオイを嗅がれているうちに汗をかいたみちこは自分のニオイと自分の気持ちが結びついていることに気づく。自分にもどこか太郎のような説明の付かない部分があると感じているはずだ。

 

 みちこが受け入れた人物がもう一人いる。それが扶希子だ。扶希子とは、みつこの塾に通ってくる生徒で周りの子供たちから「変わっている」といじめられている。おそらくみちこも子供の頃に変わっていると言われいじめられた過去があるのではないだろうか。みちこは扶希子が嫌がるのも気にせず扶希子に固執し面倒を見る。みちこの太郎に対する想いも扶希子に対する想いも常人に理解されない人への共感、三人の共同体のようなものがあったのではないだろうか。

 

 そしてもう一人のみちこ側の人間が松原という男性。松原は太郎の男性側のパートナーだ。おそらく太郎はバイセクシャルだと僕は思う。女性のパートナーはみちこ、男性のパートナーは松原。この松原は扶希子の父親だ。ゲイである松原も周囲から異様な目で見られている。みちこは太郎や扶希子同様、松原に対してもマイノリティーであることのシンパシーのようなものを感じたのではないだろうか。

 

 しかし太郎の過去を太郎の妻や周りの人から聞かされるうちに「太郎を目にした時の恍惚感」が薄らいでいく。「恍惚感」とはどういうことだろうか。太郎を目にした時みちこは特別な反応を示してはいない。しかしどこかでみちこは太郎のような存在、本能で生きるような存在に憧れをいだいていたのだろうか。あるいは自分と同じタイプであることにシンプルに喜びを感じていたのだろうか。

 

 その日は突然訪れる。太郎は松原とどこかへ消え、みちこは扶希子を連れてどこかへ逃げる。太郎も松原もみちこも扶希子もこのままここにいると、いずれ世間の常識と噂に押しつぶされ居場所がなくなると感じたのだろうか(扶希子はみちこに無理矢理連れていかれたのかもしれないが)。

 

 この作品は常に三人称神視点で語られる。常識のみが通用する世界、常識が意味をなさない多様性の世界、どちらの世界が正しいというわけではなく平等に語られている。とはいえ結局は太郎、松原、みちこ、ふきこは街を出て行く。

 

 時代が、なんて言いたくはないが今は多様性と言いながらも、理解できないこと、常識の外にあるもの(そもそも何が常識なのかわからないが)をすぐに排除しようとする。自分が知らない価値観を受け入れようとせず自分の常識の範囲内だけで処理しようとする。

 

 誰にも迷惑をかけていないのであれば(太郎は少し迷惑をかけているが)変でもいい。答えやデタラメだらけの真実が簡単に手に入る今、もっと生きるのは自由でいい。答えを求めすぎないことが大事だと思う。

 

 それは小説を読むときも同じで、面白い面白くないはさておき、理解というものは必ずしも必要ではなく、それを受け入れる気持ちで読むことが大切なのだと「犬婿入り」を読んで実感した。世の中のすべてのことを理解できないように、小説のすべてを理解できるとは限らない。小説にすべてが書かれてあるとは限らないのだ。

 

顔は弱いー「ペルソナ」(多和田葉子)を読んでー

 自分が自分であることを定義している要素は何だろうか。顔、体型、声、名前、血縁、国籍、言語、性別、いろいろと考えられるが、おそらくほとんどの人が「顔」で自分が自分であることを確認していると思う。自分の顔は自分のものであることに間違いはないが、この顔が本当に自分なのかどうか自信がなくなる時がある。それが他人が自分を見るときだ。他人が僕の顔を見て判断する僕と、僕自身が僕の顔を見て判断する僕は一致しないことがある。

 本作「ペルソナ」はそんな顔や表情にまつわる話だ。弟の和男と一緒にドイツに留学中の主人公道子は、精神病院に勤める知り合いのセオンリョン・キムという韓国人男性が院内で起きた事件の容疑者にされたという話をキムの同僚で道子の友人であるカタリーナから聞かされる。「優しそうに見えるが異常に表情がない。だから残忍さがその底に潜んでいても見えにくい」という理由で今まで一緒に働いていた同僚から嫌疑をかけられてしまったキム。これにカタリーナは、友人の日本人(道子)も表情はないが残忍さを隠しているわけではないと反論する。この出来事をきっかけに道子は自分の顔と表情に縛られていく。自分は本当にカタリーナが思っているような人間だろうかと。

 過去にこんな体験をしたことがある。

 とある街でスマホの通信料を払おうと携帯ショップに入った。女性店員に「通信料の支払いを」と言いかけると何かを察した顔になり他の男性店員に引き継いだ。その男性は妙によく通る声でハキハキとした口調で言った。
在留カードはお持ちですか」
 なんのことかわからず突っ立っているとジェスチャーも交えて口を大きく動かしながら「在留カード」と言ってくる。在留カードってなんだっけとしばらく考えるが何も頭に浮かんでこない。僕は思い切って店員に聞いた。
在留カードってなんですか」
 すると店員は何かに気づいたようにはっとして「失礼しました」と言い何事もなかったかのように支払いの手続きを始めたのだ。
 薄々感づいてはいたが、支払いを終えた僕は念のため在留カードをネットで検索した。予感は当たっていた。どうやら僕は日本人には見えないらしい。その街は東南アジア系の人たちが多く暮らす街だった。店を出ると通りには日本人ではないだろう顔をした人たちがちらほらと見える(彼らが日本人ではないという根拠は何もない)。僕が日本人であることは確実だがそれは僕が思っているだけで男性店員から見た僕は日本人ではなかった。

 イタリアに旅行に行った時だ。街中の露店や市場の人たちは僕の顔を見ると「ナカタ!ナカタ!」と声をかけてきた。当時イタリアのサッカーリーグで活躍していた中田英寿のことだ。彼らにとって日本人は皆ナカタなのだった。

 国籍だけではない。性格や人間性も顔や表情から決めつけてしまうことがよくある。「オタクっぽい」「チャラそう」「大人しそう」「すぐキレそう」。顔から勝手にいろいろなことを想像する。そして分かった気になってしまう。

 これは身近な人との間でも起こる。キムは普段から一緒に働いている同僚から嫌疑をかけられた。毎日顔を合わせある程度の理解をもって一緒に仕事をしていたはずなのにだ。よく知った顔の相手だから性格もよく知っている、この人はこう言う人だと自信を持って言えるはずなのに国籍の違いによる「顔の違い」が齟齬を生み出す。

 物語の中で道子は弟の和男にだけは信頼のような依存のような感情を寄せている。おそらく道子と和男は似た顔をしているのではないだろうか。道子が和男を信頼しているのは自分と同じ顔をしているからだと思う。和男と分かり合えていると思う道子だが実際はそうではない。そして道子自身も和男が思っているような姉ではないのだ。
海外で日本人の顔を見ると安心感を覚える。それは見慣れた顔を目にすることで言葉や習慣などが異なる地で分かり合える存在を見つけたと思い込むからだと思う。もしこの二人が日本で生活をしていたら違った関係性があったと思う。

 道子が日本語を教えているドイツ人のシュタイフさんは日本語を喋るとき無表情になる。正しい日本語でも無表情で話すとその言葉の受け取り方は変わる。言葉の意味は分かってもその人の真意がつかめない。強く分かり合えるはずの無表情によって言葉が役に立たなくなってしまう。

 物語は最後に道子が能面を被ることで顔から解放され日本人らしさを取り戻すところで終わる。突飛な行動に思えるがその気持ちがなんとなくわかる気がする。
 僕は九州のど田舎で育った。そこでは常に誰かに見られていてどこで何をしていたか田舎ならではの情報網で監視されている。道を歩けば知った顔に出会い僕は「マエダさんちの息子」にならなければならない。
 高校を卒業し上京するとその感覚は一変した。誰も僕の顔を知らない。誰も僕の顔を見ない。空気のような存在だ。かといって自分を見失うのではなく、顔を捨てることで強く「自分」を意識することができた。

 最近気づいたことがある。僕は会社にマスクをしていく。これは花粉症の時にしていたマスクの延長のようなもので今となってはしてもしなくてもいいのだがマスクをしていると精神的に落ち着くのだ。落ち着く理由は同僚に顔を見られないからではないかと思った。僕は同僚を信用していない。信用のない人に顔から勝手にいろいろと想像されないよう、わかり合っていると思われないよう顔を隠すことで安心感を得ているのではないだろうか。

 顔はとても強い。情報の塊だ。だから顔に縛られる。本当の自分、自分だけが知る自分は顔から解放された時にだけ出会うことができる。ただ、顔からの解放はいいことばかりではない。孤独になる。本当の自分になるために孤独になる。しかし孤独だと人とわかり合うことは難しい。堂々巡りだ。

 道子はいつまで能面をつけるつもりだろうか。それを外した時、自分を見失ってしまわないだろうか。心配だ。

太陽の塔に勝つためにー太陽の塔関連本二冊(平野暁臣)を読んでー

 僕の岡本太郎歴はそれほど長くはない。

 

 きっかけはNHKのドラマだった。

 

 2011年2月に岡本太郎生誕百周年を記念して作られた「太郎の塔」というドラマを見て一気に岡本太郎に取り憑かれた。ドラマを見る以前から岡本太郎のことは知っていた。太陽の塔のことも知っていた。「芸術は爆発だ」という言葉も知っていた。ただ、それだけだった。岡本太郎という芸術家が昔いた、という事実を知っているだけだった。太郎に関する知識はほぼゼロだった。ドラマでは彼がどのような環境で育ちどのようにして芸術家になり、そして、どのようにして太陽の塔を建てるに至ったのかを描いている。その中で強烈に印象に残ったのが太郎の「NON(ノン)」という言葉だった。

 

 自分の意に沿わないものに対して「NON」を突きつける。その姿勢が胸に重く響いた。砂の入った重い袋でぐいぐいと胸を押されるような感覚だった。少しでも力を抜くと「NON」に押し倒されそうになる。太郎の発した「NON」は強かった。そして太郎は大阪万博のテーマプロデューサーに就任したにも関わらず「人類の進歩と調和」というテーマに対しても「NON」を突きつける。

 

 僕が初めて太陽の塔を見たのは2012年か13年の1月だった。寒い日だった。千里中央駅からモノレールに乗る。「次は万博記念公園駅」というアナウンスが流れた時に見た車窓にそれは現れた。これまで太陽の塔を映像や写真で見たことはあったがそこにあった塔は自分がイメージしていたものよりもはるかに大きかった。木々に囲まれてズンッと屹立する塔は遠目からでも異質なオーラを感じることができた。

 

 モノレールを降りた僕は小走りになっていた。改札を出て左に折れると先ほどよりも大きくなった塔が見えた。公園まで歩く間、僕は常に塔を見ていた。というより塔に見張られているような気がして目を離すことができなかった。公園に入ると真正面に塔があった。ただ呆然と見つめるしかなかった。ゆっくりと歩き塔に近づいた。徐々にその姿が視界に収まりきらなくなる。首を上下に動かし全体をとらえようとした。近くで見る太陽の塔は汚れや黒いシミのようなものがあり、そしてとても孤独に見えた。1月の寒さのせいもあったかもしれない。孤独に見えたその塔を前にして僕は思った。

 

「勝てない。太陽の塔には勝てない」

 

 孤独になりながらもただ真正面を見て何かに対して「NON」を言い放つその両腕を広げた姿に圧倒的な敗北を感じた。なんでこんなにも強く立って強く生きていられるんだ。溢れそうになる涙を堪えてしばらく塔を睨んでいた。いつか太陽の塔に勝ちたい。それは今思えば僕の中では「太陽の塔になりたい」と同義だった。

 

 ベンチに腰掛けしばらく眺め、また来る、また会いに来てこの自分の気持ちが変わらずに昂ぶるか確かめるんだと強く思った。それから僕はほぼ毎年のように正月休みを利用して太陽の塔に会いにいくようになった。行くたびに生命の強さと同時に生きることの辛さのようなものを思い出させてくれるのだ。適当に生きてるんじゃないだろうな、楽して生きようとしてないだろうな、そう言われているような、どこを見ているのかわからないあのギョロッとした目で睨まれているような気がして背筋を正すのだ。

 

 しかし、ここ二、三年太陽の塔に会いに行っていなかった。この間僕は自分の生き方というものを見失っていた。あるいは放棄していたように思う。なんの目的も持たず何のために働いているのかもわからないそんな日々を過ごしていた。

 

 今年の5月、二年ぶりぐらいに太陽の塔に会いにいくことになった。嫁さんが大阪に行きたい、吉本新喜劇を生で見たい、と言ったのがきっかけだった。以前から僕が太陽の塔のファンであることを知っている嫁さんは当然のように太陽の塔も見たいと言った。これまで太陽の塔がどれほどすごいものなのか話して聞かせてきたが、それはすべて僕の主観だった。僕は太陽の塔の何を知っているのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。そして何も答えられらなかった。僕はただ太陽の塔が好きだという自分に酔っていただけではないのか。太陽の塔を「ファッション」として捉え、太陽の塔が好きだと言うとなんとなくかっこいい、その程度の発想しかなかったのではないか。もちろん、初めて見た時の感動は嘘ではない。しかしそこから僕は一歩も進んでいなかった。もっと太陽の塔のことを知りたい、知らなければならない、そしてもっと近づきたいという想いから二冊の本を手に取った。

 

 二冊とも岡本太郎記念館館長である平野暁臣氏の本だ。一冊は平野氏が太陽の塔建設に関わった人々に取材をした「太陽の塔 岡本太郎と七人の男(サムライ)たち」。もう一冊が前出の本に新情報を追加した「太陽の塔 新発見!」という本だ。

 

 当たり前なのだが僕の知らないことだらけだった。

 

 なぜ岡本太郎はテーマプロデューサーに就任したのか。芸術界でも「きわもの」「危険人物」である太郎はなぜテーマプロデューサーという大役を任されたのか。プロデューサーを太郎に依頼したのは大屋根を設計した丹下健三だった。彼は太郎に何かを期待していたのだと思う。丹下は人類の進歩と調和、そして自身が作った大屋根、この2つに何かしらの物足りなさを感じていたのではないだろうか。何か足りないけれど何かわからない、岡本太郎に任せれば面白いことをやってくれるかもしれない。建築家としてではなくアーティストとしての直感あるいは万博で面白いことをしたいという好奇心のようなものだったのではないだろうか。

 

 そんな丹下の期待に応えるように太郎は太陽の塔を作った。大屋根を突き破り「人類の進歩と調和」というテーマに「NON」を突きつけるために作ったと思っていたが始まりはそこではなかった。そもそも太郎はいきなり太陽の塔を思いついた訳ではない。基本構想と呼ばれる太郎自らが書いた原稿用紙10枚ぐらいの文章から始まっている。絵ではなく言葉から始まったのだ。芸術家と聞くとパッと頭にひらめいたものをささっと描いて「これだ!」と直感と感性のみで作っているイメージがあるがそうではなかった。太郎はまず言葉によって展示の理念と構造を記したのだ。しかも書き出しの内容は塔のことでもなくテーマのことでもなく、観客の導線についてだった。万博に来た大勢の人たちを地上で滞留させないために展示スペースを地下、地上、空中と三層に分け、下から上へと人の流れを作ることで入り口付近の混雑を避けようというのだ。地下から地上、そして空中にある大屋根への導線を作るという発想がまずあった。つまり太陽の塔は言葉と機能から生まれたとても論理的なものなのだ。

 

 これだけでも十分驚きなのだが、さらに驚きなのが、太郎がまず発案したのが生命の樹だったということ。生命の樹と言えば太陽の塔の内部にあるあの樹だ。てっきり太陽の塔ができ、その後生命の樹を発想したものだとばかり思っていたが実は太郎が真っ先に構想したのが生命の樹だったのだ。原生生物から人間までの進化を支えてきた生命のエネルギーを表現したこの生命の樹は、のちに太陽の塔内に入るわけだが、太郎はこれを塔の「血流」、太陽の塔の「動脈」だと思っていたという。太郎は太陽の塔を「いきもの」として構想したのだ。彫刻ではなく、生命体として。僕が初めて太陽の塔を見たときに感じた異質なオーラやにらみつけられるような感覚はきっと太陽の塔が生きていたからなのだろう。

 

 しかし、このように塔の役割が観客を大屋根まで運ぶものだとしたらわざわざ大屋根を突き破る必要はなかったのではないか。しかし太郎は始めから大屋根を打ち破るつもりでいた。基本構想の最後に生命の樹は巨大な屋根を突き抜ける、と書いているのだ。太郎の中にむらむらと湧き起こった大屋根を打ち破るという衝動。これを僕は人類の進歩と調和というテーマに対する挑戦だと思っていた。しかし太郎はこう言っている。

 

「この世界一の大屋根を生かしてやろう」

 

 なぜ大屋根を打ち破ることがそれを生かすことになるのか。平野氏はこう書いている。

 

「それが岡本芸術の神髄だから」

 

 わかるわからないではない「そう」なのだ。 太郎は大屋根と太陽の塔を対峙させることで芸術に引き上げようとしたという。そこで僕ははっとした。「NON」だ。僕はこれまで「NON」をただ相手に対峙し「NON」を突きつけ闘う行為ばかりだと思っていた。そうではないのだ。「NON」は相手の存在をくっきりと浮かび上がらせ、相手と自分を対等のフィールドへと持って行きしっかりと向き合うための言葉であり行為なのだ。それにより新たな可能性を探る。太郎がテーマならびに大屋根に「NON」を突きつけたのは万博をただの国家事業で終わらせるのではなく、対峙させることで大屋根と太陽の塔を新しい芸術へと昇華させるためだったのだ。いくら論理的に言葉を用いようとも機能面を重視しようともやはり太郎の芸術家としての衝動は抑えられなかった。もしここで太郎がこの衝動を抑えていたら、あれだけのものは誕生していなかった。

 

 太陽の塔はあの場所で大屋根に対峙し大屋根の可能性を引き出すために建てられた。あそこでなければだめだった。そして対峙する相手は大屋根でなければだめだったのだ。僕が太陽の塔に感じた孤独もこれで納得がいく。大屋根がなくなった今、対峙する相手のいない太陽の塔は孤独だ。自分をより高い所へと押し上げてくれる相手、「NON」を突きつけるに値する相手が現れるのを今も待っている。

 

 太陽の塔は技術的にどのようにして作られたのか。まず驚いたのが、設計を担当したのが二十代の若者だったことだ。さらに本書の中で平野氏が驚いていたのが太陽の塔幾何学的な図形の集積でできているということだった。なぜこれが驚きなのかピンとこなかったのだが、読み進めていくうちにその驚きの理由が分かった。

 

 太陽の塔は太郎が作った100分の1の石膏原型を元に作られたのだが、太郎の手によって作られた有機的な形を建築物としてそのまま大きく作ることはできないのだという。建築に関わる人々が共有できる図面に落とし込むためには有機的な図形を数値化、つまり幾何学的な図形に変換する必要がある。これが何を意味しているのか。つまり、今立っている太陽の塔は太郎が作った有機的なそれとまったく同じというわけではなく、太郎が作った原型に限りなく近い「幾何学的な形」なのだ。太郎の手が生み出した曲線や反りや左右の非対称がそのまま再現されているわけではないのだ(太陽の塔は完全なる左右対称だという)。たしかにこれは驚きだ。担当者は、作品の創造に参加している意識はなく、完全に建築物を作っている感覚だったという。今の時代なら高性能CPUや3Dスキャンなどの技術があるので簡単に再現できるのかもしれないが、当時の設計図は手書きだったというからまた驚きだ。

 

 そして読んでいて鳥肌がたったのが、大屋根と太陽の塔の腕との連結部分についてだ。太陽の塔の腕は大屋根とつながっているのだが、つなぎ目に段差ができないように大屋根の自重によるたわみと太陽の塔の腕の自重によるたわみを計算して段差がないようにしたという。当時の解析技術では困難なシミュレーションを「おそらくの世界」と担当者は言っているが、成し遂げてしまう技術に驚いた。そして表面の加工や防水、黄金の顔の再現などについては当時の最先端の技術、別の言い方をすると当時主流ではなかった技術が実験的に使われたという。なぜ実験の場として活用されたのか。それは太陽の塔が閉幕半年後に取り壊されることが決まっていたからだ。これは塔に限った話ではなく、万博の規則でパビリオンなどは閉幕後半年で取り壊すことが定められているのだ。太陽の塔が作られている当時も取り壊される運命にあった。しかし、誰一人壊すつもりで作っている人はいなかった。皆残すつもりで作っていた。なぜ残すつもりだったのか言葉で説明できることではないと思う。強いて言うなら「ベラボーなもの」を作ると宣言した太郎の情熱あるいは衝動が皆を動かすモチベーションになったのだろう。

 

 

 設計担当者が20代だっただけでなく万博のコンテンツづくりの中枢を担っていたのも30代という若者たちだった。なぜ若者が起用されたのか。それは初めての万博を成功させるという命題を前に「若い才能に賭ける」というヴィジョンが関係者の間で共有されていたからだろうと平野氏は言う。そして意思決定者がリスクをとって若い情熱、異色の才能に賭けたと。今なら考えられないことだ。

 

 もし今万博を開催するとしたら国はまず代理店に依頼する、代理店はスポンサーを集める。国は代理店に丸投げしふんぞり返り、代理店はスポンサーに忖度する。そしてスポンサーは「ビジネスとして」成功することを第一に考える。こんな状況では若い才能に賭けるという発想は生まれない。当時は役人と作り手の距離が近く、役人も代理店任せではなく自分ごととして事業に取り組んでいたのだろう。

 

 これらの若いクリエイターたちを太郎はさぞかし強いリーダーシップで導いたのだろうと思いきやそうではなかったようだ。太郎はただプロジェクトへの志を語っただけでそれ以外は何も口出ししなかったという。ただ自分が言いたいことは言い指示は具体的に出した。太郎は若者たちと同じ目線でディスカッションし同じ目線で太陽の塔に向かっていた。それにより若者たちは太郎の手先として動いているという感覚ではなく、自分たちが作っているというモチベーションを持てたのだ。ベラボーなものを作っている感覚。面白いことになるぞ、面白いことをやってやるぞという情熱。ビジネスや将来のキャリアなど考えずに万博と格闘した若者たち。未来が見えない時代だからこそできたと思う。当時は未来が見えなかった。だから夢があった。今は未来が見えすぎている。夢という言葉は理想へとすり替わり情熱や努力ではなく即物的な感覚へと変わった。未来と現在と現実がイコールでつながっている今、後先考えずに前だけ今だけを見て突っ走ることはなかなかできない。もちろん気持ち一つでどうにでもなるのだが、そのリスクをとる度胸がない。そんな今の若者たちを引っ張ってくれる大人が必要だ。「おい、ベラボーなものをつくるぞ」と言ってくれるちょっと危険な大人が必要だ。

 

 しかしそんな危険な大人がいたとして現代でベラボーなものはつくれるだろうか。たとえ太郎が今生きていたとしても苦戦するだろう。1970年の日本と今の日本とではあまりにも感覚が違いすぎる。様々な価値観が世に溢れ、批評、批判で隙間が埋められる。ベラボーが入り込む余白がない。

 

 裕福になった日本は代わりに情熱を失った。現代人は新しい日本などどこにもないことを知っている。当時は新しい日本を皆探していた。新しい日本があることを信じていた。たしかに新しい日本はあった。しかしそれは合理性と常識が支配する世界だった。何をするにも理由がついて回る。よくわからないけどやろう、なんてことが通用しない。わからないもの、理解できないものに対して攻撃あるいは黙殺する、それが現代だ。皆頭がよくなりすぎた。いや、頭がいいフリをしすぎだ。そして人に興味を持たなすぎだ。

 

 現代人は太陽の塔には勝てないのか。太陽の塔に「NON」を突きつけそれと対峙することはできないのだろうか。

 

 本書の中で設計担当者がこんなことを言っていた。

「これからも太陽の塔が残っていくのであれば、本来のように対決の世界にもう一度戻って欲しい。太陽の塔と対峙するものを次の世代につくってほしい。太陽の塔なんかに負けないぞ、というようなものをね」

 

 70年以降おそらく太陽の塔は様々な相手と戦ってきた。しかしそれは大屋根のように姿形が見えるものではなく目に見えないものばかりだった。とくに今は闘う相手が見えにくい。相手が見えないのであればどこに誰に「NON」を突きつければいいのかわからない。たとえ突きつけたとしても相手が浮かび上がってこない。

 

 万博後に学芸員が太郎に聞いた。「大屋根を失った太陽の塔はこれから何と向き合うのか」と。

 太郎はこう答えた。

「宇宙だ」

 太郎自身、太陽の塔と闘う相手が今後現れないことをわかっていたのだろう。そして太陽の塔に睨まれていると僕が感じたのは勘違いだった。太陽の塔は僕なんか見ていなかった。僕たちは宇宙に向けられた太陽の塔の目を再びこちらへと向けさせなければならない。「NON」を突きつけるにふさわしい相手にならなければならない。太陽の塔を保存するかどうか議論になった時に署名活動が行われたという。太陽の塔はそれくらい市民に愛されていたということだ。しかしやはり愛するだけでは太陽の塔の意味がない。闘わなければならない。

 

 初めて太陽の塔を見たときに勝てないと思ったのは太郎だけでなく太陽の塔に関わった全ての人たちの情熱や気概のようなものが襲ってきたからだ。当時の人たちのその気持ちに負けないように強く生きなければと改めて思った。