本とゲームとサウナとうんち

ライターが書くブログです。本とゲームとサウナとときどきうんちが出てくるブログです。

笑って死ぬのはいいことか ー「電車道」(磯崎憲一郎)を読んでー

 これは二人の男の生き方を描いた小説だ。

 ひとりは四十歳を目前にしてそれまで営んでいた薬屋や家族を突然捨て山に籠もる生活を始める。その土地で知り合った子供たちに様々なことを教えているうちにそこで私塾を開き、後に学校の校長になる。

 もう一人は銀行員を辞め選挙に立候補するも落選。妻子を置いて伊豆の温泉に逃げ、そこで自堕落な生活を送り愛人まで作る。しかし後に鉄道会社を立ち上げ成功する。

 二人とも一度自分の人生を捨てている。捨てるというと一見逃げのようにも思えるがそうではない。二人に共通していることは自分の人生に妥協していないということだ。このままでも十分に生きていけるにもかかわらず、これではだめだと行動を起こす。計画性もなく後先考えもせずただ自分の生き方に疑問を持つ。それは不満と言うよりも漠然とした不安のようなものかもしれない。妥協しないために何をすればいいのか分からず、ただ自分の意志のまま動いてみる。それは考えるということでもある。自分の身の回りのこと、他人のこと、社会のこと、あらゆることを考えることで自分の今いる場所を確認することができる。自分の生き方を妥協しないというのは考えることから始まる気がする。人と違う生き方をする人間(人生に妥協しない人々)にはこの社会が、普通に暮らしている人間(人生に妥協した人々)とは違って見える。二人はその違いを怒りとして世の中にぶつけながら生き、そして死ぬ直前まで自分の人生はこれでよかったのかと考える。

 この物語は「電車道」というタイトルにあるように鉄道の歴史にも触れられている。鉄道がない土地に線路ができ駅ができるとはどういうことか。人が集まり、街ができ、お金が動き出す。そして景色が変わる。人も変わる。しかし二人は変わらない。変わらないものを持てる人間は強いが同時に辛いだろうとも思う。変化する世の中の価値観についていけず、絶えず怒りを抱えて生きるのは楽ではない。世間を理解できずに死んでいくのは辛いだろう。

 何もかもが目まぐるしく変化する今、自分を変えずに生きていくのは難しい。未来が簡単に予想できてしまう時代に、人生に妥協しない生き方は非効率かもしれないが、皆なんとなく予想できてしまう未来にびくびくしながら生きているようにも思える。人は今を生きている以上、必ず未来を持っている。ここで言う未来とはポジティブでもネガティブでもなく、ただの未来だ。その未来への道筋はいくつもある。効率、非効率とかではない。

 本書の中で印象に残った文章がある。
「その人に相応しい生き方というのは、どこかで待ち伏せている。」

 自分に相応しい生き方はいったいどこにあるのだろうか。二人の男のように自分がそうしたいと思う道を選び貫くことが大事だが、それには相当な覚悟がいる。

 人生に妥協しないということは、笑って死ぬことなんてできないということだ。