本とゲームとサウナとうんち

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サウナ小噺「十二分」

 大抵のサウナ室の壁には十二分時計という特殊な時計が掛けてある。十二分時計は時刻ではなく十二分という時間を計るためだけにある。十二分時計には秒針と分針の二つの針があり、秒針が一周すると分針が一つ進む。秒針が十二周すると分針は一周して元の位置に戻ってくる。これで十二分だ。時計の盤面には一から十二までの数字が書かれているので一見すると普通の時計に見える。初めてサウナに入った人はこの時計を見て驚くかもしれない。半日がたったの十二分で過ぎてしまうのだから。

 なぜ十二分なのか、このご時世調べればすぐに答えが出るはずだが未だに調べていない。サウナに入るととりあえず分針が一周するのを、つまり十二分経つのを座って待つのだ。

 僕は銭湯での時間をなるべくサウナに使うために体と頭は自宅で洗う。その日もいつものように自宅で体と頭を洗い近所の銭湯に向かった。

 ここの銭湯のサウナ室は段々畑のような作りでゆるやかな傾斜に五段ほどの座席が設けてある。一番下の段にはテレビ台と業務用冷蔵庫二個分ぐらいの大きさの熱波を放出する機器が木製の柵越しに見える。僕はいつも一番上の段に陣取ってテレビと十二分時計を交互に眺めるのだ。

 午前八時からやっているその銭湯はいつも行く午前九時にはすでに数人のお客さんで賑わっている。賑わうといってもサウナ中に話をする人は誰もいない。静かに座りただテレビを眺め、ときおり十二分時計に視線を送る。 

 その日は珍しくサウナ室には誰もいなかった。

 僕の目に映るもので動いているのは十二分時計の秒針と分針だけだ。厳密に言うとテレビに映し出されたトーク番組に出演している芸能人も動いていたが、僕とサウナ室という空間を共有していたのは十二分時計だけだった。

 ぼんやりとテレビを見ながら気づいたことがある。普段なら六分もすれば体中から汗が吹き出してくるはずが、僕の体は何の変化も起こしていなかった。たしかサウナに入ったとき分針は二を指していたはずだ。いや、三だったかもしれない、あるいは一だったかもしれない。わからない。自分がいつサウナ室に入ったのか、サウナ室に入った時に分針がどの数字を指していたのかわからなくなっていた。六分経ったと思っていたのは間違いだったのだろうか。いや、六分は経っているはずだ。確実にそう言えるだろうか。回る秒針を見つめた。そしてゆっくりと少しずつ動く分針を見つめた。

 こうなるともはや十二分時計は何の役にも立たなくなる。いつひっくり返したのかわからない砂時計で時間を計るようなものだ。砂時計であれば砂がすべて落ちるという終わりがあるが十二分時計には終わりがない。どこが十二分なのか分からないまま秒針と分針は回り続ける。

 僕とサウナ室の関係は十二分時計で成り立っていた。そして僕と十二分時計の関係はサウナ室で成り立っていた。十二分が計れない今となっては終わりのない時間の中で僕は完全に一人だった。

 いつ出ればいいのかタイミングがわからないまま数分が過ぎた。木製の重い扉が開き一人の老人が入ってきた。何度か見たことのある常連の老人は痩せて皮膚が垂れてはいるが色黒のせいか垂れた皮膚の向こうに筋肉質的な硬さがあった。老人は入ってくるなり一番下の段の熱波を放出する機器の前に寝転がり目を閉じた。

 僕は銭湯やサウナで話しかけられるのがあまり好きではない。話かけてきそうな雰囲気を出す客(たいてい老人だが)がそばに来ると死んだような薄眼でテレビを見つめるようにしている。その老人も以前は何度か僕に話しかけようと上の段の僕の定位置の隣に座ってきたことがあったが僕はそれをすべて老人の独り言として処理していた。

 目を閉じて横になっていた老人は立ち上がると僕の方に向きそして前屈の姿勢になり自分のお尻を熱波を放出する機器に向け平手で叩き出した。それが終わると今度は回れ右をして向き直りしゃがんだかと思うと両足を左右に大きく開き今度は股間を機器に向けまた自分の尻を平手で何度も叩いた。

 まるで僕に対する挑戦状のようだ。これを見せられて「何をやっているんですか」と聞かずにいられるか。サウナ室には僕と老人しかいないのだ。

 前向きと後ろ向きの平手打ちが終わると老人は僕を見た。というより僕が老人を見ていた。

「今日は人が少ないので思わずやっちゃいました。すんませんね」

 老人は少し恥ずかしそうに言った。

「健康法か何かですか」

 この状況でこの台詞が出てきた自分の臨機応変さに気分を良くした僕は自然と老人に笑顔を送ることができた。

「いつも家でやってるんです。これやると気合が入るんでね。一度ここでやってみたいと思ってまして。お兄さんしかいなかったもんだから」

 そう言うと老人は声を出さずに笑うと会話の終わりを意味する会釈をしサウナ室を出ていった。老人が出て行く間際に僕は聞いた。

「いつも何分ぐらい入ってますか」

 老人は重い木製の扉に手をかけると僕の顔を見て僕が向けた視線を追った。

「あんなところに時計があったんですね」

 もう一度会釈をするとハゲているのか短く刈り込んでいるのか区別がつかない頭をさすりながら出ていった。

 僕は十二分時計を見た。いったい何分ここにいたのかさっぱりわからなかったがもうどうでもよくなっていた。

 その瞬間、体から大量の汗が噴き出した。