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ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない〜ロックマン完全制覇プロジェクトを終えて〜

 カプコンを代表するアクションゲーム「ロックマン」が今年30周年を迎える。そんな記念すべき年にナンバリングタイトルの最新作となる「ロックマン11」が、前作「ロックマン10」から約8年ぶりに発売される。

 

ロックマンとの出会い

 

 初代ロックマンが発売されたのは1987年。僕が6歳の頃だ。ロックマンを知ったのはテレビCMかそれともファミ通か、はっきりとは覚えていない。とにかくロックマンというゲームを見た瞬間に心が躍った。欲しい、とにかく欲しい。このゲームで遊びたい。そのことを誰に伝えたのか記憶していないがおそらく父には何度もロックマンのことを話していたのだろう。 

 

 ある夜、風呂に入っていると仕事から帰ってきた父が大きな声で僕の名前を何度も呼んだ。ガラッと風呂のドアを開けるともう一度僕の名前を呼んだ。シャンプーが浸みないように薄く目を開けて振り向いた。父の手にはロックマンの箱が握られていた。  

 

 風呂から上がり、晩ご飯を食べている間、テレビに目も向けずひたすら取扱説明書を読んでいた。操作方法、アイテムの説明、そして魅力的なボスたち。ロックマンの最大の魅力、それはボスを倒すとそのボスの武器をロックマンが使えるようになることだ。いったいこのボスを倒すとロックマンはどんな武器を手に入れるのだろう。独り言のように僕は語っていたのかもしれない。夜のゲームは禁止というルールを作った母がそんな僕を見かねてファミコンの電源を入れることを許可してくれたのだった。

 

●衝撃のゲームプレイ

 

 僕が最初に選んだボスはアイスマンだった。ビジュアルから弱そうな印象を受けたからだと思う。しかしその予想は見事に外れることになる。とにかくステージが難しいのだ。消える足場の法則性を見つけるほどの思考能力を六歳の僕は身につけていなかった。

 

 アイスマンをあきらめ、次に挑んだのがカットマンだった。パンツ姿がなんだか弱そうに見えたからだろうか。なんとかボスまで行き着き、そして撃破。このとき僕の胸に浮かんだ感情は、あれほどボスの武器を使うことを楽しみにしていたにも関わらず「喜び」ではなく「不安」だった。

 

 難しすぎる。ステージもボスとの対戦もとてもじゃないが楽しめない。

 

 その後、兄と父の力を借りてボンバーマン(あるいはガッツマンだったか)を倒したがそこが限界だった。ほかのステージに挑戦するもボスまでたどり着けずにゲームオーバーになってしまう。そして初代ロックマンにはセーブ機能がない。日を改めてプレイするとまた一からやり直しだ。僕の心は完全に折れた。父には申し訳ないが買ってから一週間ほどでプレイしなくなってしまった。その後、僕が自分自身でロックマンを買うことはなかった。

 

●ボスキャラコンテストへの応募

 

 とは言ってもまったくプレイしなかったわけではない。同じようにロックマンが好きでシリーズを買っていた友達の家に行きみんながワイワイ遊ぶのを後ろで眺め、ときにコントローラーを握らせてもらったこともあった(すぐに一機失った)。友達の家に集まった腕自慢でもクリアは容易ではなく、皆でああでもないこうでもないと言いながら遊んでいるのを感心しながら眺めていた。

 

 彼らはこんなにも難しいゲームになぜ魅了されたのか。それはやはりボスの存在だろう。シリーズごとに様々な要素をモチーフに登場するボスはロックマンよりもかっこよく見えた。

 

 それほど熱心にプレイしなかった僕だがボスキャラコンテストにはよく応募していた。自分で考えたボスのイラストをハガキの裏に書き何枚も何枚も応募した記憶がある。ときに一人でときに友達と集まって語り合いながらボスを考える時間はゲームをプレイしている時間よりも楽しかった。

 

 あるとき「ダークロックマン」というロックマンを悪者にしたボスを思いつき「これはいける!」と興奮したのだが、雑誌のロックマンボスキャラコンテスト特集ページに「悪いアイデアの例」として「ロックマンを悪役にしたボス」というのが掲載されているのを見て自分のセンスのなさを痛感した。このアイデアは過去のコンテストで何度も投稿されているらしく「使い古されたアイデア」だったのだ。そもそもこの悪役のロックマンは初代の後半で登場している。つまりこのアイデアの応募が多かったということは、いかに子供たちが後半までたどり着けなかったかを意味していた。

 

●完全制覇プロジェクトへ

 

 最後に友達の家でロックマンを見たのはおそらく「6」か「7」だったと思う。スーファミで発売されたロックマンXは少し遊んだだろうか。このように僕のロックマンの記憶は断片的でしかない。

 

 「11」が発売されると知った時も「ロックマンって10まで出てたの?」ぐらい僕にとっては遠い存在になっていた。とはいえやはり最新作しかもグラフィックが大幅に進化したロックマンを見ると6歳の頃抱いたドキドキとわくわくが蘇ってきた。これは絶対買う!絶対プレイする!と思った瞬間にどこか後ろめたい気持ちが心の隙間にじわっと染みた。

 

 途中で放り出してロックマンと真正面から向き合ったことのない人間が何を言っているんだ。30周年だからって、ちょっとグラフィックが良くなったからって、これじゃ“にわか”じゃないか。「11」をプレイする前にやることがあるだろう。そうだ、これまでのナンバリングタイトルをクリアしてこそ心から「僕はロックマンが好きです!新作を楽しみにしていました!」と胸を張って言える。

 

 よし、「ロックマン」から「ロックマン10」までの10作品すべてをクリアしよう。

 

 こうして僕の「ロックマン完全制覇プロジェクト」は始まった。

 

ファミコン世代の子供たちのゲームのうまさ

 

 初代ロックマンの音と映像を見て懐かしさがこみ上げる。あれから30年も経っているせいか全く歯が立たなかった嫌な思い出が蘇ることもなくスムーズに入っていけた。ただプレイした感想は30年前と変わらなかった。

 

「ムズいなあ…」

 

36歳の自分が難しいと感じるのだ。6歳の子供がクリアできるわけがない。しかし当時の子供達はこの難易度のロックマンを頑張って自力でクリアしていたのだ。攻略情報もそれほどない時代にこの難しさに文句を言うこともなくなんとしてでもクリアしてやるというやる気だけでプレイし続けていたのだ。そう思うとファミコン世代の子供たちのゲームのうまさに驚く。

 

●高難度が達成感を生む

 

 なぜ当時の子供たちはこの難しいゲームを途中で投げ出さなかったのか。それは難しさがそのまま楽しさになっていたからだと思う。あいにく僕はそれを感じることができない甘ちゃんゲーマーだったわけだが、難しいステージを乗り切る、強いボスを倒す、あいつよりも先にクリアする、といった難しさの先にある「達成感」がゲームの楽しさであり面白さだったのだ。

 

●ボス中毒

 

 ロックマンの難しさを支えていた要素のひとつがやはり「ボス」だろう。ゲームでボスといえば最後の最後に出てくるあまりお目にかかれない存在だ。しかしロックマンではゲームスタート時からボスのビジュアルも名前も分かっている。いったいこのボスはどんなボスなんだ?見たい!そのためにはステージをクリアしないといけない、けど難しい、けどボスが見たい!この中毒的なサイクルが出来上がる。そして、ボスが強い、倒せない、けど倒さないとこのボスの武器を使うことができない、倒さないといけない!ボス戦においてもまたサイクルが出来上がる。難しさよりもボスへの欲求が上回っていたのだ。

 

 難しいゲームをクリアした時に得られる達成感とボスの存在が子供たちをプレイへと向かわせた。

 

●子供に媚びない大人たち

 

 このゲームに挑戦する子供たちもすごいが、作った大人たちもすごい。当たり前だが、このゲームを作っていたのは大人たちだ。子供たちがプレイすることを知っていながらこのゲームバランスにする大人たちの気が知れないとゲームが下手な僕は思ってしまう。けれど大人たちもおそらく難しいのは承知で、クリアできるものならクリアしてみろと子供たちへの挑戦状のつもりで作っていたのだと思う。それと同時に、たとえ難しくてもクリアしてくれるはずだというプレイヤーに対する信頼もあったのだろう。子供たちも大人たちからの挑戦を真正面から受け止めてプレイしていたのだろう。

 

 開発者とユーザーの理想の関係がそこにはあった。

 

●ボスラッシュはやりすぎ

 

 そうは言ってもやはり「おい、大人たち、やりすぎだろ!」と思うことがある。

 

 「ボスラッシュ」だ。

 

 ラスボスの前に立ちはだかるロックマンお馴染みの最難関ボスラッシュ。一度倒した6体あるいは8体のボスともう一度戦わなければならない。開発者の心理としては自分の子を崖から落とすライオンの心理だろうか。今回10作品プレイしたがいつもボスラッシュでため息をつき大げさでもなんでもなく絶望と向き合った。 初代ロックマンで初めてボスラッシュを経験した子供たちはきっと「どうして…」と呟きその絶望と戦ったに違いない。その絶望を乗り越えた当時の子供たちはゲームがうまいだけでなくハートも強かったはずだ。

 

●難しさを決める三つの要素

 

 ロックマンの何が難しいのか。それは大きく三つの要素に分類される。これはロックマンに限ったことではなくアクションゲーム全般に言えることかもしれない。

 

1:覚えゲーである

 

 ロックマン覚えゲーである。まずはこれを知らないと痛い目にあう。

 

 目の前に穴がある。先に進むためにジャンプで飛び越えようとすると穴から出現した敵に当たり落下して即死。穴から敵が出てくることを知らなかったから死んだのだ。知っていれば死んでいなかった。 このように要所要所で知らないから死ぬという場面に出くわす。敵の出現場所やトラップの位置などとてもじゃないが初見でかわすことは不可能だ。完全制覇プロジェクトの間、僕は何度も嘆いた。

 

「初見じゃムリだろう!!」

 

2:最適解のプレイを求められる

 

 ロックマンの操作はとてもシンプルだ。ロックマンを動かす十字キーとショットボタンとジャンプボタン、基本的にはこれだけだ。しかし、ここしかないというタイミングでジャンプしないといけなかったり、足場ギリギリに立ってジャンプしないと届かなかったり、かと思えばボタンを押しすぎるとジャンプしすぎて死んでしまったり、普通のアクションゲームならこれくらいで大丈夫だよねという遊びの部分が少ない。常に「最適解」のプレイを求められる。

 

 例えばラッシュジェットがなければ絶対にクリアできないエリアで、もしラッシュジェットのゲージが切れていたら、もう先へは進めない。ゲームオーバーになるまで自ら死に最初からやり直すしかないのだ。

 

 最適解を導き出せない者に救済はない。

 

「鬼畜か…」

 

3:ボスやザコキャラの動きが数学的に難しい

 

 ロックマンは基本的に左右にしかショットを撃てない。それなのに敵は二次関数曲線と三次関数曲線を組み合わせたような動きで迫ってくる。しかもよく分からない範囲の変数を持ちながら。ロックマンが打ち落とせない真上から、真下から、微妙な角度の斜め上から、微妙な角度の斜め下からやってくる。ロックマンはなすすべもなくボコボコにされるのだ。

 

 ボスの動きも難しい。突進をジャンプで避けようとすると急に立ち止まり攻撃をしてきたり、ふわっと空中に浮いたと思ったら突然突進してきたり。ボスの動きについては1の覚えゲーと2の最適解を組み合わせた難しさがある。動きを知り、しかも最適な操作をしないと倒すことは難しい(弱点となる武器を持っていれば話は別だが)。

 

 ステージ中もボス中も僕は何度もため息と供につぶやいた。

 

「数学的にムリだろ…」

 

 1、2、3を知っているからといって楽にクリアできるわけではない。これらを自分のものにするためには反復練習が必要になる。覚えるべきところを覚え、最適な操作ができるまで何度も何度もゲームオーバーを繰り返すのだ。

 

 これが、ロックマンだ。

 

ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない

 

 難しさを決めるこの三つの要素を考えているときに僕はやっとあることに気づいた。

 

 ロックマンをマリオのようにプレイしてはいけない。

 

 横スクロールアクションだからと言ってマリオのようにプレイしてはならないのだ。Bダッシュで適当にジャンプしていればクリアできるようには作られていない。ロックマンというゲームは、ステージごと、エリアごと、ザコキャラごと、ボスごとにきちんと対応し考え戦略を立てながら感覚的にではなく一歩ずつ慎重に進めるゲームなのだ。

 

 僕はこれに気づかずにずっとプレイしていた。目の前の穴を何も考えずに飛び越えようとして真下から出現した敵に倒され激怒したり、ロックバスターを打ちながらとりあえず走ったり。いつも深夜にプレイしていたことも影響していただろう、あまり深く考えずにとりあえず前に進めばクリアできるだろうなんて甘い考えで、マリオをプレイするような感覚でいたのだ。

 

 そんな自分の甘さに気づいたのが「ロックマン10」をプレイしているときだった。気づくのが遅すぎると思うかもしれないが、僕はむしろこのギリギリのタイミングで気づけて良かったと安堵した。

 

ロックマンを連続でプレイしてはいけない

 

 今回ロックマンシリーズを10作品プレイして得た教訓はこれだけではない。もうひとつ得た教訓は、ロックマンを連続でプレイしてはいけない、ということだ。

 

 たとえロックマンは「こういうゲーム」とわかっていたとしてもステージをクリアし、ボスを倒し、ボスラッシュを乗り越え、ワイリーと戦うことを繰り返していると神経がすり減っていく。一作クリアしたらしばらく間を置き、忘れた頃にまたプレイするほうがいい。そのほうがロックマンの難しさを懐かしみながら楽しみながらプレイできる。

 

 今回のプロジェクトは2月から始め8ヶ月ほどかけて10作品をクリアした。ずいぶん時間をかけたように見えるが前半5作品のペースが遅すぎたせいで、後半の5作品は立て続けにクリアしなければならなかった。毎週のように夜中にこの難しさと対峙してしまうと、ロックマンの魅力なんて感じる暇もなく、ただただ苦痛のみが襲ってきた。なんとかギリギリのところで踏みとどまったが、もしもう一作品、しかもマリオのようにプレイしていたら、おそらくロックマンを嫌いになってしまっていただろう。

 

●難しさと楽しさの境界線とは

 

 難しさは楽しさにつながると書いたが、そこの境界線はとても難しい。とくにロックマンは簡単にしすぎるとらしさがなくなり、難しくしすぎると新規のユーザーに受け入れられない可能性がある。最新作の「ロックマン11」はどのようなゲームバランスになっているのだろうか。どんなに難しくてもいい。僕はプレイする。10作品を通してロックマンとの向き合い方を覚えたのだから。

 

ロックマン クラシックス コレクション 1+2 - Switch