本とゲームとサウナとうんち

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人間という無駄に立ち戻る ー映画「太陽の塔」(監督:関根光才)を見てー

太陽の塔

それは、1970年に開催された日本万国博覧会のテーマ館の一部として建てられた芸術家岡本太郎の作品だ。

 

太郎はこれを万博のテーマである「人類の進歩と調和」に真っ向から立ち向かうために作った。もし太陽の塔が建てることができないのなら自分がここに立つとまで言った。それほど太郎は「人類の進歩と調和」というテーマに疑問を抱いていた。

 

万博終了後、大屋根やパビリオンが次々と撤去される中、太陽の塔は、当初取り壊されるはずだったにもかかわらずなぜか保存が決まり今も一人立ち続けている。

 

僕が初めて太陽の塔を見たのは2012年の1月。寒い日だった。

 

千里中央駅からモノレールに乗る。「次は万博記念公園駅」というアナウンスが流れた時、車窓にそれは現れた。これまで太陽の塔を映像や写真で見たことはあったがそこにあった塔は自分がイメージしていたものよりもはるかに大きかった。木々に囲まれてズンッと屹立する塔は遠目からでも異質なオーラを放っていた。 

 

モノレールを降りた僕は小走りになっていた。改札を出て左に折れると先ほどよりも大きくなった塔が見える。公園まで歩く間、塔から目が離せなかった。

 

公園に入ると真正面に塔があった。ゆっくりと歩き塔に近づいた。徐々にその姿が視界に収まらなくなる。近くで見る太陽の塔は汚れや黒いシミのようなものがあり、そしてとても孤独に見えた。1月の寒さのせいもあったかもしれない。孤独に見えたその塔を前にして僕は思った。

 

「勝てない。太陽の塔には勝てない」

 

孤独になりながらもただ真正面を見て何かに対して「NON」を言い放つその両腕を広げた姿に圧倒的な敗北を感じた。なんでこんなにも強く立って強く生きていられるんだ。

 

なぜか溢れそうになる涙を堪えてしばらく塔を睨んでいた。

いつか太陽の塔に勝ちたい。

ベンチに腰掛けしばらく眺め、また来る、また会いに来てこの自分の気持ちが変わらずに昂ぶるか確かめるんだと強く思った。

 

それから僕はほぼ毎年のように正月休みを利用して太陽の塔に会いにいくようになった。行くたびに生命の強さと同時に生きることの辛さのようなものを思い出させてくれるのだ。適当に生きているんじゃないだろうな、楽して生きようとしてないだろうな、そう言われているような、どこを見ているのかわからないあのギョロッとした目で睨まれているような見張られているような気がして背筋を正すのだ。

 

しかし、あるドキュメンタリー映画を見てこの気持ちが一変した。

それは絶望だった。

まさか太陽の塔から絶望という感情を抱くとは思いもしなかった。

 

そのドキュメンタリー映画というのが関根光才監督の「太陽の塔」だ。

 

ドキュメンタリー映画と言っても太郎の出演シーンは少ない。太郎にゆかりのある識者たちが、太陽の塔から導き出した9つのテーマについて語る構成になっている。

 

万博が開催された1970年という時代。太陽の塔ができる過程。太郎の生い立ち。縄文時代から読み取れる日本らしさ。日本を変えた原子力。太郎が違和感を覚えた当時の日本のシステム。太郎に共鳴したアーティストたち。太郎が太陽の塔で示した宇宙観、人間観。そして太陽の塔が我々に遺したもの。

 

これらのテーマからなぜ僕が絶望に至ったのか。その過程を説明しようと思う。

 

リセット

 

万博が開催されたのは1970年。敗戦からわずか25年だ。大空襲で焼け野原になった東京。原爆を落とされた長崎と広島。あれからたったの25年で万博を開催できるまで復興したのだ。もちろん、日本だけの力ではない。アメリカの力も大きい。

 

とはいえ、このスピードは速すぎる。世界が驚いただろうが、何よりも驚いたのは日本人自身だろう。あまりにも劇的に変化する世の中に、敗戦をかみしめる暇もなく、まるで敗戦以前の日本を忘れるかのように、振り払うかのように発展した。

 

それはある種リセットのようなものだったのかもしれない。文化も思想も生活も体制もリセットし、過去の日本を忘れ、新しい日本を探し始めた。ただでさえ速いその変化を加速させたのは科学技術だった。その変化のスピードに人々の意識は追いつけずただ従うしかなかった。事実、従うことで幸せを手に入れることができた。

 

そんな1970年に万博が開催された。敗戦の雰囲気はどこにもない。過去の日本はどこにもない。世界が日本に注目した。そこにあったのは夢見たような世界だった。人類の進歩と調和を誰も疑うはずがなかった。その証拠に、原爆によって敗戦を経験した日本だったが「万国博に原子の灯を」を合言葉に原発による万博への電力の供給も行われた。

 

科学技術による進歩の階段へと足をかけた日本に対して太郎は逆行していた。

 

警鐘

 

1951年に縄文土器と知り合った太郎はその芸術性の虜になる。まったく実用的ではない縄文土器。しかし、太郎はそこに表現せずにはいられない人間のあるべき姿のようなものを感じ取ったのだろう。今よりもはるかに文明が劣っていたにも関わらず、縄文時代を生きた人々には芸術が当たり前のように生活に根付いていた。太郎はそこにこそ日本人のルーツ、日本人の持つ可能性を感じたのだ。

 

1960年代には沖縄や東北の文化を巡る旅をしている。旅で太郎が出会ったのは純粋に自然の中で生き、文化を紡ぐ人々の姿だった。そこにあったのは人々の手で造る文化だ。自然が生まれ、動物が生まれ、そして人間が生まれる。そこに優劣はなく、自然の一部として暮らす人間の姿があった。しっかりとした時間の流れがあった。人は自然の一部であり、自然も人の一部なのだ。

 

こうした経験を経て太郎の中に堆積していった思想と万博の思想が真っ向からぶつかったとき、太陽の塔は誕生した。

 

太陽の塔は万博で展示されている科学技術とは一線を画した。塔内部の展示はアメーバから始まり、恐竜やマンモス、そして原始時代の人類などが展示され人間がどのようにして今に至ったのかを表現している。そのほかにも世界各国から集めた仮面を展示したり何気ない市井の人の写真を展示したりした。

 

塔の頂上から大屋根に出るとそこには原爆の恐怖を伝える展示。そして太陽の塔の背中には核を表現していると言われる黒い太陽。「人類の進歩と調和」を未来に見るのではなく過去の、それもまだアメーバだった頃から見つめ、過ちを忘れず、人間と自然の営みこそが進歩と調和の礎になると伝えたかったのだろう。

 

太陽の塔はテーマ館と言いながらその逆を行っているように見えるが、実は「人類の進歩と調和」を伝えている。周辺のパビリオンと違うのはその表現方法・伝え方だった。

 

未来だけを見るのが万博そのものだとしたら、太陽の塔は過去現在から未来を想像し人間性を失うことへの警鐘を鳴らす存在だった。

 

敗北

 

しかしその警鐘は当時万博を訪れた人々の心には響かなかった。

 

万博会場を訪れた人々の目には今まで見たこともないものばかりが入ってくる。心踊ったことだろう。SFの世界が現実に目の前にある。好奇心と欲を駆り立てる。そんな時に過去を、現在を見直し未来を案じろと言われても無理だ。

 

もし僕が当時を生きていたら太郎が伝えようとしていることは理解できなかったと思う。太陽の塔を万博というお祭りの一部として見上げ、その異形のオブジェに過去ではなく未来を見たことだろう。

 

「人類の進歩と調和」に真っ向から挑んだ太郎は完全に万博に負けた。時代の流れ、スピードに一人で立ち向かうこと、芸術で立ち向かうことがこの時から次第に難しいものになる。人が科学技術に負けた瞬間だったかもしれない。

 

希望

 

太陽の塔と同時期に作成された作品がある。それが「明日の神話」だ。

太陽の塔明日の神話に共通するもの、それは核の力への恐怖だ。

 

僕は当初、明日の神話とは核の力を皮肉った作品だと思っていた。核を神話だと思い込んだ人類の末路を描いているのだと思っていた。しかし、そうではなかった。核の脅威、科学技術の脅威により倒れた人類がそこから立ち上がる姿を太郎は神話と呼んだ。太陽の塔が未来への警鐘を鳴らすのとは逆で、明日の神話は未来への希望を描いている。

 

太郎は太陽の塔に込めた想いが伝わらないことに気づいていたのかもしれない。そこで絵画という表現でそれを人々に伝えようとした。その人々とは現在の人ではなく、未来の人々へじゃないだろうか。石器時代の人々が洞窟に描いた壁画を僕らが見るように、明日の神話を見た未来人が、その意味を理解してくれることを望んだではないだろうか。絵画にすることで、何千年後に言葉がなくなってもわかるように。

 

1970年からおよそ50年。世界で紛争が起こる中、幸いにも日本は戦争をせずにここまできた。しかし、災害は多く、そのたびに原発という核の脅威にさらされた。2011年の震災ではその脅威を目の当たりにした。そこから人々は何か学べただろうか。学んだとしてもやはり過去を振り返ることはできていないのではないだろうか。ある意味で日本は何も変わらず、戦後よりも速いスピードで変化している。太郎が意図しなかった方向に。

 

太陽の塔明日の神話も役目を終えてしまったのだろうか。

 

革命

 

太陽の塔明日の神話を1970年当時に太郎が発した警鐘・希望とだけ見ていいものだろうか。今なお残る太陽の塔明日の神話のメッセージの普遍性を考える必要があるのではないか。しかしなかなかそれができない。太郎が警鐘を鳴らした科学技術は今や驚くべきものでもなんでもなく当たり前のもの、生活インフラにまでなっている。こんな時代に太郎のメッセージを掴むのは難しい。

 

戦後25年で万博が開催され核という科学技術を目にした日本。それからまた25年がたち1995年にインターネットを目にすることになる。そして今はAIの時代へと入っている。

 

核は人々の生活を変えた。核が今のエネルギーのインフラになったようにインターネットもインフラになりつつある。そしてAIはそれ以上に人々の生活を、思想を変えようとしている。

 

インターネットの登場により情報革命が起きた。検索を覚えた僕たちはなんでも知ることができた。それまでのテレビやラジオ、新聞による雑多な情報収集から自分が欲しいものをピンポイントで収集できるようになった。

 

そして情報革命は欲求革命を生んだ。それまでの欲求は時代や世間が作っていた。しかし自分で情報を収集できるようになると欲求は属人的でその人特有のものになった。自分が欲しいものだけが手に入る。しかも情報収集することで効率よく手に入れることができる。効率よく欲が手に入るようになり、欲は消費となった。

 

多様性

 

インターネットにより情報収集だけでなく情報発信も簡単にできるようになった。世界中の様々な人たちが情報を発信するようになり、これまで社会に出てくることのなかった考え方も知られるようになる。

 

これにより価値観は細分化され多様性という言葉が生まれた。多様性という言葉が示すように世界中がインターネットにつながったことで世界が「広がった」ように見えるが、実はその逆じゃないだろうか。価値観が細分化されたことで自分と同じ意見を持つ人を見つけやすくなり自分だけの世界に閉じこもりやすくなった。

 

居心地のいい精神世界で疑問を持つことは少ない。自分とは違う意見を持つ他者や自分が馴染めない社会というものを意識しなくても生きていける。

 

以前は引きこもりといえば世の中との接点がなく自分の部屋に引きこもることを意味したが、現在の引きこもりは自分の考え方に引きこもるという意味合いが強いのではないだろうか。しかも、それに賛同してくれる人がいて、インターネットにつながっていれば何不自由なく生きていけるので自分の思想が絶対的となる。

 

世界は自分の手の中にあるという全能感のようなものを手に入れることができる。自分のことだけ考えれば生きていける。生きる上で考える要素がそぎ落とされ、生きる半径が狭くなった。

 

インターネットにより自分たちの世界は現実でも思想でも広がったかのように見えたが実は世界を狭くしてしまったのかもしれない。

 

 合理性

 

インターネットは人類の様々な問題を解決した。不便が解消され便利が増えた。そして便利を突き詰めつめた先にあったのは効率性や生産性といった合理性だった。生活そのものが合理性を求めるようになり、何をするにも理由と結果が求められ、それに合致しないものは無駄とみなされ省かれていった。

 

合理性とは何か。

それは数字で表すことができるものだ。数字が増える、あるいは減ることで可視化される。

 

合理化が進み社会は成熟したかのように見えた。しかしそれは成熟ではなく成長だった。成熟とは必ずしも数字では表現できない。しかし、そんなものは現代では通用しない。数値で表すことができる成長こそが正義なのだ。人として成長すること、それは仕事で結果を出す、収入をあげるという意味になった。

 

その結果、社会は成熟ではなく成長を目指すようになった。数字を追いそれを伸ばすこと、成長にばかり気を取られる。広い意味を持つ成熟から合理性という限定的な価値観を表現する成長を人は求めた。成長は未来しか見ない。新しいことだけが正義なのだ。

 

忘却

 

人々はこれまでにも様々な技術で様々な不便を解消してきた。不便が解消される度に人類の余白も広がった。おそらく大阪万博も人類の余白を広げたと思う。

 

本来、その余白に文化が生まれるはずだったのだ。しかしそこに生まれたのは欲求、そして消費だった。消費すなわち成長を加速させるために効率性・生産性を進め余白を埋めた。そして今、インターネットの次にAIが登場しそれをさらに進めようとしている。

 

AIによる合理化の先にあるもの。それは不確実性の高い人間という無駄を省いた社会だ。

 

AIはこれまでの人類が残してきたデータベースをもとに作られている。しかし、そのデータは高々十数年だ。しかし我々の中には縄文時代からのDNAが受け継がれているはずだ。それを忘れ、数十年のデータを基にした効率的な知能を作り出す。そこに文化が入り込む余地はない。過去や文化は、不便なもの、無駄なものとみなされ忘れ去られていく。

 

もし今、誰かが縄文土器を作ったとしたら「それAIでもっと面白いものが作れるよね」と言われる。あるいは「使いづらいよね」となる。作った人の想いや文化的な側面は価値を見出さない。そして人は何も作らなくなる。自ら文化を作り出すことをやめる。そして人は何者でもなくなる。

 

映画の中で「曼荼羅」というキーワードが出てくる。これは人の人間観、宇宙観を表したものだ。おそらく未来の曼荼羅はAIが作ったものになっているだろう。

 

絶望

 

1970年よりも時代の変化は速い。これに逆らうことはできないのだ。太郎のような人間でさえできなかったのだ。まして僕なんかができるわけがない。日々、インターネットの恩恵を受け、知らないうちにAIを使ったサービスの恩恵を受けている。この流れを逆に行ける人間などいない。

 

そもそも映画を見るまで今書いたようなことを考えたことなどなかった。

 

映画を見終わった後に僕の頭の中に様々な不安が浮かんだ。このままいくと人間に未来はないのかもしれない。

 

そんなはずはないという気持ちで二回目を鑑賞した。そのとき浮かんだのは後悔だった。やはりもう遅いのかもしれない。

 

そして3回目の鑑賞を終えた僕の心は穏やかだった。不安と後悔が絶望に変わったのだ。もう遅い、手遅れだと悟りぐるぐると体の中を動いていた不安と後悔は絶望となって体を満たし落ち着いた。

 

僕は懐古主義ではない。ただ未来に絶望したのだ。「もっとこうあるべきだ!」「人間はこう生きるべきだ」といった主張をする意識も絶望に剥ぎ取られてしまった。

 

もし太郎がまだ生きていたら今の社会をどう見るだろうか。何を作ってくれるだろうか。太郎は太陽の塔曼荼羅だと言った。つまり太陽の塔こそが太郎の人間観・宇宙観なのだ。それが通用しない今、太郎は何も作らない、あるいは作れないかもしれない。人類の進歩と調和には太陽の塔をもって抵抗した太郎も、インターネット・AIの前では無力なのだろうか。

 

しかしまだ太陽の塔は立っている。立ち続けることが未来への希望になる。神話とは太陽の塔なのかもしれない。

 

もし地球上に誰もいなくなり太陽の塔明日の神話だけが残ったとする。そんな地球にやってきた異星人が太陽の塔明日の神話から地球に住んでいた人々の歴史を学び新しい時代を作ってくれないだろうか、そんなどうしようもないことを考えてしまう自分がいた。

 

人間

 

異星人はさておき、絶望しかない未来に向けてどう生きていくか。科学技術を否定する気はない。その恩恵を受けて生きており、それがないと生活が成り立たないほどになっているからだ。

 

何かを否定しながら生きていくことにこそ未来がない。現状を受け入れながら僕にできること、それは人間らしく生きるということだ。

 

科学技術の観点から言うと人間には無駄が多い。その無駄を大切にしながら生きていくのが人間らしさだと思う。

 

無駄なことで悩み、無駄なことを考え、無駄なことを表現し、それらの無駄のために無駄な時間を費やす。これらの無駄に共通していることは自分の頭で考えるということだ。考えない無駄は本当の無駄になってしまう。それではただ時代に流されて絶望に行き着くだけになってしまう。

 

本来なら無駄に考えることが人間らしさであったはずなのに、その感覚が薄れてきた今、もう一度無駄に考えるという人間の原点に立ち戻ることが大切かもしれない。