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メディアは政党の広告とどう向き合うのか

女性誌viviとニュースアプリのグノシーが自民党とタイアップしたコンテンツが賛否を呼んでいる。

 

viviは「どんな世の中にしたい?」というテーマで自民党のロゴ入りTシャツを着た女性モデルたちがそれぞれの想いを語り、さらに「#自民党2019」をつけてSNSに「どんな世の中にしたいか」を発信すると抽選でそのTシャツが当たるという企画。

 

グノシーはアプリ内で「日本政治王決定戦 collaboration with #自民党2019プロジェクト」というクイズ番組を七日間にわたって生配信。正解が最も多かった視聴者には安倍総理のビデオレターが贈られる。さらに、SNSで「#自民党2019」をつけた政治に関する質問を募り、後日質問への回答をグノシー内で記事として配信するという企画。

 

いずれも「#自民党2019」をつけてSNSで発信するように促している。つまりこれは自民党の広告だ。

 

これに対してネット上で賛否が巻き起こった。多かったのはやはり否定的な意見だったが、なぜそんなに批判する必要があるのかという人たちもいた。メディアがお金をもらって広告を掲載するのはビジネスとして当たり前だ、というのだ。

 

タイアップという手法にはメディアの思想が反映される

 

「お金をもらっているんだから、広告を載せるのは当たり前」

たしかに言われてみればそうだろう。紙、ネットにかかわらずほとんどのメディアと言われるものは広告で成り立っている。お金をもらって広告を掲載しているのだから何も悪くないという意見が出てきてもおかしくはない。

 

本当にそうだろうか。例えば女性誌が特定の香水メーカーとタイアップして記事を掲載したとしても、メディアの思想を気にする人はいない。しかし、社長が女性差別発言を繰り返す香水メーカーとのタイアップ記事を掲載した場合はどうだろうか。おそらく炎上とまではいかなくても、読者はその雑誌のスタンスを疑うだろう。

 

もうひとつ例えると、一部上場企業が運営する老舗結婚相談サイトとのタイアップをOKしている女性誌でも、エロサイトやいかがわしいサイトにも広告を掲載し、売買春の温床になっているかもしれないと言われる出会い系サイトとのタイアップにはOKは出さないだろう。例えその出会い系サイトに違法性が全くなかったとしても、もしそんな出会い系サイトとタイアップ広告を掲載したら、読者はそのメディアのスタンスを疑問に思うはずだ。

 

稚拙な表現になってしまうが、世間の大多数が嫌っている物やサービスや企業の広告を掲載すると、なぜ掲載したのかメディアの意図が問われるということだ。たとえそれがビジネスだったとしても。むしろビジネスで掲載するとより批判を受けやすいだろう。

 

ここで注意したいのは広告の中でもタイアップ広告が、という意味だ。バナーや見開きなど、枠を売るだけの広告ならこれほどナイーブにはならないだろう。しかしタイアップという手法はそのメディアが一緒になってつくるものだ。広告主の想いをどのように伝えるかメディアが一緒になって考え発信する。

 

つまり、メディアはお金さえもらえればどんなタイアップ広告でも掲載するわけではないのだ。タイアップ広告にはメディアの意思も反映される。だから自分たちのメディアの立ち位置や読者との関係性、社会に与える影響などを考えて広告を掲載しているのだ。本来はそうあるべきだと僕は思う。

 

商品とのタイアップと政党とのタイアップの違い

 

では政党とのタイアップの場合はどうだろうか。商品のメッセージと、政党のメッセージの違い。そんなこと比べなくてもわかると思うが、商品はある特定の人、ある特定のシーンにしか影響を及ぼさない。しかし政党の場合、今の生活だけでなく未来の生活にまで影響を及ぼす可能性がある。しかも政党によってそのメッセージの内容が異なる。香水Aと香水Bの違いという簡単な違いではなく、この先、どう生きていくのか、どのような生き方をしないといけないのかといった大きな違いがある。政党とのタイアップを掲載する場合は、読者の、そして国民の生活まで考えて掲載する必要があると思う。

 

メーカーが相手にするのは消費者だが、政党とメディアが相手にするのは国民だ。それを忘れてはいけない。

 

メディアは特定の政党の広告を掲載してもいい。ただし条件付きで。

 

メディアが特定の政党とタイアップして広告を掲載することはそんなに批判されるべきことなのか。僕はとくに問題はないと思う。ただしそのメディアがその政党を支持していると表明しているという条件付きでだ。

 

なぜなら、先ほども書いたが、政党とタイアップする場合、読者の今、そして未来の生活まで考えたうえで掲載する必要がある。そこに責任を持てない、あるいは意思がないのであれば掲載すべきではない。

 

しかし、講談社とグノシーは今回のタイアップ広告に対して「政治的な意図や背景はない」と答えている。つまり自民党を支持しているわけでもないのに自民党とタイアップしたというのだ。無責任なタイアップと言われてもしかたないだろう。

 

 

読者との信頼関係を忘れたメディアたち

 

今回の企画について二つのメディアは「政治的な背景や意図はない」というコメントとは別に「若い女性が社会的な関心事にについて自由な意見を表明する場を提供したい」「政治に関心を持ってもらうための企画」といった回答をしている。

 

これはメディアとして褒めるべき考え方だと思う。しかし、それを自民党と一緒にやらなければできなかったのか。メディア単独で十分可能なはずだ。

 

企画を開催するにあたってお金が必要なのであれば自社の持ち出しでやればいい。世の中について考える、政治について考えるという社会的に意義のある企画なのだから、例え赤字になったとしてもメディアとしての役割は十分に果たすことができる、それでメディアの価値も上がる。

 

ではなぜ、自民党と組んだのか。間違っていけないのは、順番だ。講談社もグノシーも政治に関心を持ってもらうため、と回答しているが、自社で政治的コンテンツの企画が立ち上がりそのスポンサーを探し、自民党に決まったという順番ではなく、自民党から広告を掲載したいという提案があり、うちだったらこういう企画ができますという順番で決まったのだと思う。

 

政治的な意図がないのだから、当然ビジネスとしておいしかったからだろう。「広告案件のひとつ」という認識でしかなかったのだろう。どれくらいの金額で受けたのかわからないが、講談社もグノシーも自民党とこういう企画をやることで社会的に話題になることを狙った。女性誌viviがまさか自民党とコラボするなんて誰も思わない。クイズ番組の景品で総理大臣からのビデオレターがもらえるなんて誰も思わない。また、与党第一党と組んでおけば後々いいことがあるとでも思ったのだろう。

 

では批判を受けることは想定していなかったのだろうか。たとえ批判があったとしても「与党第一党」が大義名分になると思ったのだろうか。もし野党から依頼がきていたらタイアップしっていただろうか。自民党を敵に回したくないという理由で引き受けなかったのではないか。

 

両社に「政治に関心を持ってもらいたい」という思想があったとは思えない。

 

これらはすべて仮定の話だが、もしこういう考えで自民党とタイアップしたのだとしたら読者を馬鹿にした考えだ。

 

今回は講談社とグノシーの二社だけだったが、与党第一党のタイアップは儲かるという前例ができれば同じようなメディアが増える可能性がある。その時が初めて問題なのだ。いや、もうその時点ではおかしい。だから与党第一党の広告はセンシティブに扱う必要がある。

 

今のメディアは倫理観や思想といったものが減ってきているように思う。話題性とビジネス。この二つがあればメディアは運営していける。たしかに運営はしているだろう。しかし、結果的に両社は炎上した。それはなぜか、メディアの倫理観・思想とは読者との信頼関係とも言える。例えスポンサーから重宝されたとしても、読者との信頼関係を忘れたメディアが批判を浴びるのは当たり前だ。

 

とくにグノシーはメディアとは言われているが、自社で記事を書くのではなく他媒体の情報を発信するだけのメディアだ。ゆえに情報に対する責任感が薄いのではないだろうか。またviviに比べてグノシーはそれほど炎上していない。これはファンの多さが関係していると思う。viviには大勢の女性ファンがいる。一方、記事を配信する装置でしかないグノシーには多くのユーザーはいるが、ファンと呼ばれる人はそれほどいない。メディアのファンとはいわば監視装置のようなものだ。ファンのいないグノシーは誰も監視する人がいない。大丈夫だろうか。

 

自民党の広告を出すことの何が問題なのか

 

ここで先ほどの話に戻ろう。世間が嫌っている商品のタイアップ広告を掲載すると自社のメディアの立ち位置が疑われるという話だ。

 

現在の自民党はどうだろうか。とってもじゃないが支持されているとは言えない。世論調査で支持率が高いのはほかに適当な政党がないからという消極的な理由からだ。

 

憲法改正、性差別発言、やうやむやになっている森友加計学園問題、年金問題など、とてもじゃないが手放しで支持できる政党ではない。国民もこれについては怒っている人が多いと思う。

 

こんなときに自民党を支持するかのような表現の広告が読者にどう受け取られるか考えればすぐにわかる。しかも、そのような政党が選挙に向けて取り組んでいる「#自民党2019」をつけてSNSに拡散するように促している。国民にあまり支持されていない政党とタイアップしているのに政治的な意図や背景はないと言い、読者に対して何の説明もしないのが僕は問題だと思うのだ。

 

特にviviの案件は、モデルが言うこんな世の中にしたいという項目が今の自民党の政策とことごとく矛盾している。それを自分たちのメディアの読者に伝えることに何の罪悪感もなかったのだろうか。Tシャツをプレゼントしたことで、安倍総理のビデオレターをプレゼントしたことで「若者に寄りそっている党っぽいから支持しよう」という自民党のことを何も知らない若者が出てきたとしても、メディアとしてそれを良しとするのだろうか。

 

自民支持を表明しているメディアならいいが、そうでもないのにこれをもし良しとするなら無責任すぎるだろう。もし、そんなことを考えてもいないのなら、メディアとして論外だ。

 

薄っぺらい自民党のプロジェクト

 

今回の件で初めて自民党が「#自民党2019プロジェクト」なるものをしているのを知ったのだが、特設サイトや施策を見ても、ただのイメージ戦略でしかない。

 

政策を語ることなくイメージ戦略のみで若者に政治に興味を持ってもらおうという発想はあまりにも若者を馬鹿にしている。若者に政治を持ってもらおうというのは建前で、選挙を見据えた取り組みであることは明らかだ。

 

viviやグノシーの企画を介して集められた言葉が「若者の言葉」として政治活動に利用される。街頭演説でこれらの言葉を紹介すればそれを聞いた人たちはあたかも自民を支持する若者の言葉として受け取る恐れもある。

 

何も知らない若者に何も説明せずにイメージだけ植え付け選挙に行かせる。これでいいのだろうか。

 

選挙に勝つためではなく、国民が選挙に行くコンテンツを

 

そもそも政党は広告をしないといけないのだろうか。

テレビCMなどを見ていたらわかるように広告は基本的に幻想だ。もっと強い言葉で言えば、広告は嘘だ。メーカーは自社の商品を使えば生活がより豊かになるかのような表現・イメージで訴えてくる。たとえデメリットがあったとしてもそれを自ら伝えることはない。つまり広告は真実を述べないことが多いのだ。政党の広告も然り。真実を言わないことが前提であるならば政党は広告をすべきではない。

 

しかし、政治に興味のない人にも興味を持ってもらう必要がある。そこで党を超えて与党と野党が一緒になって政治コンテンツを独自で作り発信してみてはどうだろうか。

 

政治は日本の未来をよくするためにある。その一歩は特定の政党が選挙に勝つことではなく、国民が選挙に行くことだ。そのための施策を今の政党はすべきだろう。

 

間違っても、選挙に行けばコンビニで使えるクーポンがもらえる、なんていう施策はやってはいけない。