本とゲームとサウナとうんち

ライターが書くブログです。本とゲームとサウナとときどきうんちが出てくるブログです。

顔は弱いー「ペルソナ」(多和田葉子)を読んでー

 自分が自分であることを定義している要素は何だろうか。顔、体型、声、名前、血縁、国籍、言語、性別、いろいろと考えられるが、おそらくほとんどの人が「顔」で自分が自分であることを確認していると思う。自分の顔は自分のものであることに間違いはないが、この顔が本当に自分なのかどうか自信がなくなる時がある。それが他人が自分を見るときだ。他人が僕の顔を見て判断する僕と、僕自身が僕の顔を見て判断する僕は一致しないことがある。

 本作「ペルソナ」はそんな顔や表情にまつわる話だ。弟の和男と一緒にドイツに留学中の主人公道子は、精神病院に勤める知り合いのセオンリョン・キムという韓国人男性が院内で起きた事件の容疑者にされたという話をキムの同僚で道子の友人であるカタリーナから聞かされる。「優しそうに見えるが異常に表情がない。だから残忍さがその底に潜んでいても見えにくい」という理由で今まで一緒に働いていた同僚から嫌疑をかけられてしまったキム。これにカタリーナは、友人の日本人(道子)も表情はないが残忍さを隠しているわけではないと反論する。この出来事をきっかけに道子は自分の顔と表情に縛られていく。自分は本当にカタリーナが思っているような人間だろうかと。

 過去にこんな体験をしたことがある。

 とある街でスマホの通信料を払おうと携帯ショップに入った。女性店員に「通信料の支払いを」と言いかけると何かを察した顔になり他の男性店員に引き継いだ。その男性は妙によく通る声でハキハキとした口調で言った。
在留カードはお持ちですか」
 なんのことかわからず突っ立っているとジェスチャーも交えて口を大きく動かしながら「在留カード」と言ってくる。在留カードってなんだっけとしばらく考えるが何も頭に浮かんでこない。僕は思い切って店員に聞いた。
在留カードってなんですか」
 すると店員は何かに気づいたようにはっとして「失礼しました」と言い何事もなかったかのように支払いの手続きを始めたのだ。
 薄々感づいてはいたが、支払いを終えた僕は念のため在留カードをネットで検索した。予感は当たっていた。どうやら僕は日本人には見えないらしい。その街は東南アジア系の人たちが多く暮らす街だった。店を出ると通りには日本人ではないだろう顔をした人たちがちらほらと見える(彼らが日本人ではないという根拠は何もない)。僕が日本人であることは確実だがそれは僕が思っているだけで男性店員から見た僕は日本人ではなかった。

 イタリアに旅行に行った時だ。街中の露店や市場の人たちは僕の顔を見ると「ナカタ!ナカタ!」と声をかけてきた。当時イタリアのサッカーリーグで活躍していた中田英寿のことだ。彼らにとって日本人は皆ナカタなのだった。

 国籍だけではない。性格や人間性も顔や表情から決めつけてしまうことがよくある。「オタクっぽい」「チャラそう」「大人しそう」「すぐキレそう」。顔から勝手にいろいろなことを想像する。そして分かった気になってしまう。

 これは身近な人との間でも起こる。キムは普段から一緒に働いている同僚から嫌疑をかけられた。毎日顔を合わせある程度の理解をもって一緒に仕事をしていたはずなのにだ。よく知った顔の相手だから性格もよく知っている、この人はこう言う人だと自信を持って言えるはずなのに国籍の違いによる「顔の違い」が齟齬を生み出す。

 物語の中で道子は弟の和男にだけは信頼のような依存のような感情を寄せている。おそらく道子と和男は似た顔をしているのではないだろうか。道子が和男を信頼しているのは自分と同じ顔をしているからだと思う。和男と分かり合えていると思う道子だが実際はそうではない。そして道子自身も和男が思っているような姉ではないのだ。
海外で日本人の顔を見ると安心感を覚える。それは見慣れた顔を目にすることで言葉や習慣などが異なる地で分かり合える存在を見つけたと思い込むからだと思う。もしこの二人が日本で生活をしていたら違った関係性があったと思う。

 道子が日本語を教えているドイツ人のシュタイフさんは日本語を喋るとき無表情になる。正しい日本語でも無表情で話すとその言葉の受け取り方は変わる。言葉の意味は分かってもその人の真意がつかめない。強く分かり合えるはずの無表情によって言葉が役に立たなくなってしまう。

 物語は最後に道子が能面を被ることで顔から解放され日本人らしさを取り戻すところで終わる。突飛な行動に思えるがその気持ちがなんとなくわかる気がする。
 僕は九州のど田舎で育った。そこでは常に誰かに見られていてどこで何をしていたか田舎ならではの情報網で監視されている。道を歩けば知った顔に出会い僕は「マエダさんちの息子」にならなければならない。
 高校を卒業し上京するとその感覚は一変した。誰も僕の顔を知らない。誰も僕の顔を見ない。空気のような存在だ。かといって自分を見失うのではなく、顔を捨てることで強く「自分」を意識することができた。

 最近気づいたことがある。僕は会社にマスクをしていく。これは花粉症の時にしていたマスクの延長のようなもので今となってはしてもしなくてもいいのだがマスクをしていると精神的に落ち着くのだ。落ち着く理由は同僚に顔を見られないからではないかと思った。僕は同僚を信用していない。信用のない人に顔から勝手にいろいろと想像されないよう、わかり合っていると思われないよう顔を隠すことで安心感を得ているのではないだろうか。

 顔はとても強い。情報の塊だ。だから顔に縛られる。本当の自分、自分だけが知る自分は顔から解放された時にだけ出会うことができる。ただ、顔からの解放はいいことばかりではない。孤独になる。本当の自分になるために孤独になる。しかし孤独だと人とわかり合うことは難しい。堂々巡りだ。

 道子はいつまで能面をつけるつもりだろうか。それを外した時、自分を見失ってしまわないだろうか。心配だ。

太陽の塔に勝つためにー太陽の塔関連本二冊(平野暁臣)を読んでー

 僕の岡本太郎歴はそれほど長くはない。

 

 きっかけはNHKのドラマだった。

 

 2011年2月に岡本太郎生誕百周年を記念して作られた「太郎の塔」というドラマを見て一気に岡本太郎に取り憑かれた。ドラマを見る以前から岡本太郎のことは知っていた。太陽の塔のことも知っていた。「芸術は爆発だ」という言葉も知っていた。ただ、それだけだった。岡本太郎という芸術家が昔いた、という事実を知っているだけだった。太郎に関する知識はほぼゼロだった。ドラマでは彼がどのような環境で育ちどのようにして芸術家になり、そして、どのようにして太陽の塔を建てるに至ったのかを描いている。その中で強烈に印象に残ったのが太郎の「NON(ノン)」という言葉だった。

 

 自分の意に沿わないものに対して「NON」を突きつける。その姿勢が胸に重く響いた。砂の入った重い袋でぐいぐいと胸を押されるような感覚だった。少しでも力を抜くと「NON」に押し倒されそうになる。太郎の発した「NON」は強かった。そして太郎は大阪万博のテーマプロデューサーに就任したにも関わらず「人類の進歩と調和」というテーマに対しても「NON」を突きつける。

 

 僕が初めて太陽の塔を見たのは2012年か13年の1月だった。寒い日だった。千里中央駅からモノレールに乗る。「次は万博記念公園駅」というアナウンスが流れた時に見た車窓にそれは現れた。これまで太陽の塔を映像や写真で見たことはあったがそこにあった塔は自分がイメージしていたものよりもはるかに大きかった。木々に囲まれてズンッと屹立する塔は遠目からでも異質なオーラを感じることができた。

 

 モノレールを降りた僕は小走りになっていた。改札を出て左に折れると先ほどよりも大きくなった塔が見えた。公園まで歩く間、僕は常に塔を見ていた。というより塔に見張られているような気がして目を離すことができなかった。公園に入ると真正面に塔があった。ただ呆然と見つめるしかなかった。ゆっくりと歩き塔に近づいた。徐々にその姿が視界に収まりきらなくなる。首を上下に動かし全体をとらえようとした。近くで見る太陽の塔は汚れや黒いシミのようなものがあり、そしてとても孤独に見えた。1月の寒さのせいもあったかもしれない。孤独に見えたその塔を前にして僕は思った。

 

「勝てない。太陽の塔には勝てない」

 

 孤独になりながらもただ真正面を見て何かに対して「NON」を言い放つその両腕を広げた姿に圧倒的な敗北を感じた。なんでこんなにも強く立って強く生きていられるんだ。溢れそうになる涙を堪えてしばらく塔を睨んでいた。いつか太陽の塔に勝ちたい。それは今思えば僕の中では「太陽の塔になりたい」と同義だった。

 

 ベンチに腰掛けしばらく眺め、また来る、また会いに来てこの自分の気持ちが変わらずに昂ぶるか確かめるんだと強く思った。それから僕はほぼ毎年のように正月休みを利用して太陽の塔に会いにいくようになった。行くたびに生命の強さと同時に生きることの辛さのようなものを思い出させてくれるのだ。適当に生きてるんじゃないだろうな、楽して生きようとしてないだろうな、そう言われているような、どこを見ているのかわからないあのギョロッとした目で睨まれているような気がして背筋を正すのだ。

 

 しかし、ここ二、三年太陽の塔に会いに行っていなかった。この間僕は自分の生き方というものを見失っていた。あるいは放棄していたように思う。なんの目的も持たず何のために働いているのかもわからないそんな日々を過ごしていた。

 

 今年の5月、二年ぶりぐらいに太陽の塔に会いにいくことになった。嫁さんが大阪に行きたい、吉本新喜劇を生で見たい、と言ったのがきっかけだった。以前から僕が太陽の塔のファンであることを知っている嫁さんは当然のように太陽の塔も見たいと言った。これまで太陽の塔がどれほどすごいものなのか話して聞かせてきたが、それはすべて僕の主観だった。僕は太陽の塔の何を知っているのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。そして何も答えられらなかった。僕はただ太陽の塔が好きだという自分に酔っていただけではないのか。太陽の塔を「ファッション」として捉え、太陽の塔が好きだと言うとなんとなくかっこいい、その程度の発想しかなかったのではないか。もちろん、初めて見た時の感動は嘘ではない。しかしそこから僕は一歩も進んでいなかった。もっと太陽の塔のことを知りたい、知らなければならない、そしてもっと近づきたいという想いから二冊の本を手に取った。

 

 二冊とも岡本太郎記念館館長である平野暁臣氏の本だ。一冊は平野氏が太陽の塔建設に関わった人々に取材をした「太陽の塔 岡本太郎と七人の男(サムライ)たち」。もう一冊が前出の本に新情報を追加した「太陽の塔 新発見!」という本だ。

 

 当たり前なのだが僕の知らないことだらけだった。

 

 なぜ岡本太郎はテーマプロデューサーに就任したのか。芸術界でも「きわもの」「危険人物」である太郎はなぜテーマプロデューサーという大役を任されたのか。プロデューサーを太郎に依頼したのは大屋根を設計した丹下健三だった。彼は太郎に何かを期待していたのだと思う。丹下は人類の進歩と調和、そして自身が作った大屋根、この2つに何かしらの物足りなさを感じていたのではないだろうか。何か足りないけれど何かわからない、岡本太郎に任せれば面白いことをやってくれるかもしれない。建築家としてではなくアーティストとしての直感あるいは万博で面白いことをしたいという好奇心のようなものだったのではないだろうか。

 

 そんな丹下の期待に応えるように太郎は太陽の塔を作った。大屋根を突き破り「人類の進歩と調和」というテーマに「NON」を突きつけるために作ったと思っていたが始まりはそこではなかった。そもそも太郎はいきなり太陽の塔を思いついた訳ではない。基本構想と呼ばれる太郎自らが書いた原稿用紙10枚ぐらいの文章から始まっている。絵ではなく言葉から始まったのだ。芸術家と聞くとパッと頭にひらめいたものをささっと描いて「これだ!」と直感と感性のみで作っているイメージがあるがそうではなかった。太郎はまず言葉によって展示の理念と構造を記したのだ。しかも書き出しの内容は塔のことでもなくテーマのことでもなく、観客の導線についてだった。万博に来た大勢の人たちを地上で滞留させないために展示スペースを地下、地上、空中と三層に分け、下から上へと人の流れを作ることで入り口付近の混雑を避けようというのだ。地下から地上、そして空中にある大屋根への導線を作るという発想がまずあった。つまり太陽の塔は言葉と機能から生まれたとても論理的なものなのだ。

 

 これだけでも十分驚きなのだが、さらに驚きなのが、太郎がまず発案したのが生命の樹だったということ。生命の樹と言えば太陽の塔の内部にあるあの樹だ。てっきり太陽の塔ができ、その後生命の樹を発想したものだとばかり思っていたが実は太郎が真っ先に構想したのが生命の樹だったのだ。原生生物から人間までの進化を支えてきた生命のエネルギーを表現したこの生命の樹は、のちに太陽の塔内に入るわけだが、太郎はこれを塔の「血流」、太陽の塔の「動脈」だと思っていたという。太郎は太陽の塔を「いきもの」として構想したのだ。彫刻ではなく、生命体として。僕が初めて太陽の塔を見たときに感じた異質なオーラやにらみつけられるような感覚はきっと太陽の塔が生きていたからなのだろう。

 

 しかし、このように塔の役割が観客を大屋根まで運ぶものだとしたらわざわざ大屋根を突き破る必要はなかったのではないか。しかし太郎は始めから大屋根を打ち破るつもりでいた。基本構想の最後に生命の樹は巨大な屋根を突き抜ける、と書いているのだ。太郎の中にむらむらと湧き起こった大屋根を打ち破るという衝動。これを僕は人類の進歩と調和というテーマに対する挑戦だと思っていた。しかし太郎はこう言っている。

 

「この世界一の大屋根を生かしてやろう」

 

 なぜ大屋根を打ち破ることがそれを生かすことになるのか。平野氏はこう書いている。

 

「それが岡本芸術の神髄だから」

 

 わかるわからないではない「そう」なのだ。 太郎は大屋根と太陽の塔を対峙させることで芸術に引き上げようとしたという。そこで僕ははっとした。「NON」だ。僕はこれまで「NON」をただ相手に対峙し「NON」を突きつけ闘う行為ばかりだと思っていた。そうではないのだ。「NON」は相手の存在をくっきりと浮かび上がらせ、相手と自分を対等のフィールドへと持って行きしっかりと向き合うための言葉であり行為なのだ。それにより新たな可能性を探る。太郎がテーマならびに大屋根に「NON」を突きつけたのは万博をただの国家事業で終わらせるのではなく、対峙させることで大屋根と太陽の塔を新しい芸術へと昇華させるためだったのだ。いくら論理的に言葉を用いようとも機能面を重視しようともやはり太郎の芸術家としての衝動は抑えられなかった。もしここで太郎がこの衝動を抑えていたら、あれだけのものは誕生していなかった。

 

 太陽の塔はあの場所で大屋根に対峙し大屋根の可能性を引き出すために建てられた。あそこでなければだめだった。そして対峙する相手は大屋根でなければだめだったのだ。僕が太陽の塔に感じた孤独もこれで納得がいく。大屋根がなくなった今、対峙する相手のいない太陽の塔は孤独だ。自分をより高い所へと押し上げてくれる相手、「NON」を突きつけるに値する相手が現れるのを今も待っている。

 

 太陽の塔は技術的にどのようにして作られたのか。まず驚いたのが、設計を担当したのが二十代の若者だったことだ。さらに本書の中で平野氏が驚いていたのが太陽の塔幾何学的な図形の集積でできているということだった。なぜこれが驚きなのかピンとこなかったのだが、読み進めていくうちにその驚きの理由が分かった。

 

 太陽の塔は太郎が作った100分の1の石膏原型を元に作られたのだが、太郎の手によって作られた有機的な形を建築物としてそのまま大きく作ることはできないのだという。建築に関わる人々が共有できる図面に落とし込むためには有機的な図形を数値化、つまり幾何学的な図形に変換する必要がある。これが何を意味しているのか。つまり、今立っている太陽の塔は太郎が作った有機的なそれとまったく同じというわけではなく、太郎が作った原型に限りなく近い「幾何学的な形」なのだ。太郎の手が生み出した曲線や反りや左右の非対称がそのまま再現されているわけではないのだ(太陽の塔は完全なる左右対称だという)。たしかにこれは驚きだ。担当者は、作品の創造に参加している意識はなく、完全に建築物を作っている感覚だったという。今の時代なら高性能CPUや3Dスキャンなどの技術があるので簡単に再現できるのかもしれないが、当時の設計図は手書きだったというからまた驚きだ。

 

 そして読んでいて鳥肌がたったのが、大屋根と太陽の塔の腕との連結部分についてだ。太陽の塔の腕は大屋根とつながっているのだが、つなぎ目に段差ができないように大屋根の自重によるたわみと太陽の塔の腕の自重によるたわみを計算して段差がないようにしたという。当時の解析技術では困難なシミュレーションを「おそらくの世界」と担当者は言っているが、成し遂げてしまう技術に驚いた。そして表面の加工や防水、黄金の顔の再現などについては当時の最先端の技術、別の言い方をすると当時主流ではなかった技術が実験的に使われたという。なぜ実験の場として活用されたのか。それは太陽の塔が閉幕半年後に取り壊されることが決まっていたからだ。これは塔に限った話ではなく、万博の規則でパビリオンなどは閉幕後半年で取り壊すことが定められているのだ。太陽の塔が作られている当時も取り壊される運命にあった。しかし、誰一人壊すつもりで作っている人はいなかった。皆残すつもりで作っていた。なぜ残すつもりだったのか言葉で説明できることではないと思う。強いて言うなら「ベラボーなもの」を作ると宣言した太郎の情熱あるいは衝動が皆を動かすモチベーションになったのだろう。

 

 

 設計担当者が20代だっただけでなく万博のコンテンツづくりの中枢を担っていたのも30代という若者たちだった。なぜ若者が起用されたのか。それは初めての万博を成功させるという命題を前に「若い才能に賭ける」というヴィジョンが関係者の間で共有されていたからだろうと平野氏は言う。そして意思決定者がリスクをとって若い情熱、異色の才能に賭けたと。今なら考えられないことだ。

 

 もし今万博を開催するとしたら国はまず代理店に依頼する、代理店はスポンサーを集める。国は代理店に丸投げしふんぞり返り、代理店はスポンサーに忖度する。そしてスポンサーは「ビジネスとして」成功することを第一に考える。こんな状況では若い才能に賭けるという発想は生まれない。当時は役人と作り手の距離が近く、役人も代理店任せではなく自分ごととして事業に取り組んでいたのだろう。

 

 これらの若いクリエイターたちを太郎はさぞかし強いリーダーシップで導いたのだろうと思いきやそうではなかったようだ。太郎はただプロジェクトへの志を語っただけでそれ以外は何も口出ししなかったという。ただ自分が言いたいことは言い指示は具体的に出した。太郎は若者たちと同じ目線でディスカッションし同じ目線で太陽の塔に向かっていた。それにより若者たちは太郎の手先として動いているという感覚ではなく、自分たちが作っているというモチベーションを持てたのだ。ベラボーなものを作っている感覚。面白いことになるぞ、面白いことをやってやるぞという情熱。ビジネスや将来のキャリアなど考えずに万博と格闘した若者たち。未来が見えない時代だからこそできたと思う。当時は未来が見えなかった。だから夢があった。今は未来が見えすぎている。夢という言葉は理想へとすり替わり情熱や努力ではなく即物的な感覚へと変わった。未来と現在と現実がイコールでつながっている今、後先考えずに前だけ今だけを見て突っ走ることはなかなかできない。もちろん気持ち一つでどうにでもなるのだが、そのリスクをとる度胸がない。そんな今の若者たちを引っ張ってくれる大人が必要だ。「おい、ベラボーなものをつくるぞ」と言ってくれるちょっと危険な大人が必要だ。

 

 しかしそんな危険な大人がいたとして現代でベラボーなものはつくれるだろうか。たとえ太郎が今生きていたとしても苦戦するだろう。1970年の日本と今の日本とではあまりにも感覚が違いすぎる。様々な価値観が世に溢れ、批評、批判で隙間が埋められる。ベラボーが入り込む余白がない。

 

 裕福になった日本は代わりに情熱を失った。現代人は新しい日本などどこにもないことを知っている。当時は新しい日本を皆探していた。新しい日本があることを信じていた。たしかに新しい日本はあった。しかしそれは合理性と常識が支配する世界だった。何をするにも理由がついて回る。よくわからないけどやろう、なんてことが通用しない。わからないもの、理解できないものに対して攻撃あるいは黙殺する、それが現代だ。皆頭がよくなりすぎた。いや、頭がいいフリをしすぎだ。そして人に興味を持たなすぎだ。

 

 現代人は太陽の塔には勝てないのか。太陽の塔に「NON」を突きつけそれと対峙することはできないのだろうか。

 

 本書の中で設計担当者がこんなことを言っていた。

「これからも太陽の塔が残っていくのであれば、本来のように対決の世界にもう一度戻って欲しい。太陽の塔と対峙するものを次の世代につくってほしい。太陽の塔なんかに負けないぞ、というようなものをね」

 

 70年以降おそらく太陽の塔は様々な相手と戦ってきた。しかしそれは大屋根のように姿形が見えるものではなく目に見えないものばかりだった。とくに今は闘う相手が見えにくい。相手が見えないのであればどこに誰に「NON」を突きつければいいのかわからない。たとえ突きつけたとしても相手が浮かび上がってこない。

 

 万博後に学芸員が太郎に聞いた。「大屋根を失った太陽の塔はこれから何と向き合うのか」と。

 太郎はこう答えた。

「宇宙だ」

 太郎自身、太陽の塔と闘う相手が今後現れないことをわかっていたのだろう。そして太陽の塔に睨まれていると僕が感じたのは勘違いだった。太陽の塔は僕なんか見ていなかった。僕たちは宇宙に向けられた太陽の塔の目を再びこちらへと向けさせなければならない。「NON」を突きつけるにふさわしい相手にならなければならない。太陽の塔を保存するかどうか議論になった時に署名活動が行われたという。太陽の塔はそれくらい市民に愛されていたということだ。しかしやはり愛するだけでは太陽の塔の意味がない。闘わなければならない。

 

 初めて太陽の塔を見たときに勝てないと思ったのは太郎だけでなく太陽の塔に関わった全ての人たちの情熱や気概のようなものが襲ってきたからだ。当時の人たちのその気持ちに負けないように強く生きなければと改めて思った。

 

うんち小噺「呪文」

 酒を飲んで家に帰り、その日のうちに風呂に入れたためしがない。

 

 目が覚めるとパンツ一枚で寝ていた。

 時計は六時四十五分。そろそろ起きて風呂に入らないと遅刻してしまう。タオルとパンツを取って風呂に入った。

 

 髪を乾かしテレビをつけると画面の左斜め上にあったのは「6:10」という数字。どうやら時計を一時間見間違えて起きたらしい。もう一時間寝るかと思ったが、酒が残った体をなんとかしようと冷蔵庫から水を取り出しパイントグラスに注ぎ二杯立て続けに飲んだ。体に酒が残ったまま電車に乗ってしまうと高確率で貧血を起こしてしまうのだ。三杯目を飲み終えた頃には体もだいぶ落ち着いてきた。

 七時五十分、卵かけごはんを食べいつも通り八時十分に家を出た。

 

 恐れていた貧血は起こらずしっかりと水分補給をした自分を褒めようとしたそのときだった。腹がとんでもない音を立てた。ギュルギュルとシュルシュルとグーが混ざったような複雑な音。もしかしてこれうんちしたくなる感じか、そう思う間もなく素早い便意が尻の奥を襲った。間一髪で括約筋を閉めることに成功したが、それは序盤戦に過ぎなかった。

 

 これぐらいの便意は何度も経験している。いつもそうだ。忘れたころにやってくるそれに油断を見せてはならない。常に尻に意識を集中し幾度となくやってくる便意を封じ込めることに成功していた。しかし、その日はなかなか手強い。そこでやっと気づいた。

 

 水を飲み過ぎたのだ。

 

 貧血と引き替えに得た代償はかなり大きかった。次第に波の間隔が短くなってくる。二日酔いでなければなんてことなかったかもしれないが、まだ少し酒が残る体はいつもよりも弱っていた。それは精神にも影響していたのだろう。もしここでうんちが出てしまったらどうしようとか、駅のホームでうんちしたら駅員さんは助けてくれるだろうかとか、あるまじき光景ばかりが浮かんできた。

 

 気付いた時には言葉にならない言葉が漏れていた。

「あーあーあー」

 どうしていいか分からない。

「あーあーあーあーあーあー」

 無理かもしれない。もたないかもしれない。

「あーああー、あーああー」

 

 このときふと気づいた。意味にならない言葉を発していると不思議と気分が落ち着き便意が収まる気がしたのだ。

「ぷっぷっぷー、ぷっぷっぷー、ぷっぷっぷー、ぷっぷっぷー」

 意味を持たない言葉をつぶやき続けた。できるだけ反復できるような言葉を。

「ぷっぷーぷぺぽ、ぷっぷーぷぺぽ、ぷっぷーぷぺぽ、ぷっぷーぷぺぽ」

 降りる駅まであと二つ。ここを乗り切れば駅のトイレに間に合うはず。トイレに着いたら思いっきり出してやる。うんちをするシーンを想像した。すごくリアルなシーンをイメージしてしまったばっかりに本当にそこでうんちをしてしまいそうになり、慌てて意識を電車の中に引き戻した。

「ぷぷぷぺぽ、ぷぷぷぺぽ、ぷぷぷぺぽ、ぷぷぷぺぽ」

 破裂音がいい。

「ぽっぽこぷー、ぽっぽこぷー、ぽっぽこぷー、ぽっぽこぷー」

 

 なんとかこらえて駅に到着し尻に力が入るようにホームをつま先立ちで歩き駅のトイレに向かった。もちろん、個室が空いているとは限らない、そこは最悪のシナリオも想定しておく必要がある。そして、その最悪のシナリオは現実となる。個室が空いていない。空くのを待つか、会社まで歩くか。あの意味不明な言葉をつぶやけば会社までもつのではないかと歩く決断をした。

「ぷっぷぷぷー、ぺっぺっぺー、ぷっぷぷぷー、ぺっぺっぺー、ぷっぷぷぷー、ぺっぺっぺー」

 会社まで歩いて十分、なんとか耐えてトイレにたどり着くことができた。

 思いっきり尻の穴を開くと出てきたのはほとんどが水だった。やはり朝に飲んだ水のおかげで腹を壊したのだった。水を飲んでいなければ貧血になっていたかもしれないことを考えると、どちらにせよ、今朝のこの試練は乗り越えなければならない試練だったのだろう。

 

 けれど、もしまた同じような状況になったとしても耐えられると思う。呪文を覚えたのだ。うんちを出さない呪文を。

 

「ぷっぷぷぷー、ぺっぺっぺー、ぽっぽこぷー」

書かずにはいられない、それが小説家だ。ー鳩の撃退法(佐藤正午)を読んでー

 佐藤正午は読ませる作家だ。読ませるとはどういうことか。例えるなら「わんこそば」のようなものだ。食べ終わったと思ったら次のそばがお椀に入れられている。そして口に運ぶ、するとまたそばが入れられる。もういいだろうと思うと次の文章が待っている。そして読む。そしてまたこれくらいでいいだろうと思うと次の文章が待っている。読まざるを得ない。そして知らず知らずのうちにどんどんお椀が積み上がっていく。こんなに読むつもりはなかったのに、いつのまにか読まされている。食べても食べても終わりがないのと同じように、読んでも読んでも終わりがない、それが佐藤正午の小説だ(もちろん、小説に終わりはある、例えればの話だと思ってもらいたい)。

 

 本作の構成は少し複雑だ。


 冒頭は幸地秀吉の目線で物語りが進む。主人公は幸地秀吉という男かと思うと、途中から津田伸一の語りへと変わる。津田伸一とは、過去に小説家として活躍し直木賞を受賞するもその後落ちぶれ現在は地方のデリヘル送迎ドライバーをしながら小説(本作)を執筆しているこの物語の主人公だ。冒頭は津田が書いた小説の一部になっている。つまり「鳩の撃退法」という小説、ならびに「津田伸一」というキャラクターを作り出しているのは佐藤正午だが、作中の文章を書いているのは津田なのだ。


 この落ちぶれた作家である津田が自分が見聞きした事実を元に書く小説を読者は読むことになる。作中の中で起こる一家三人失踪事件や偽札事件といった「事実」が複雑に絡み、地方から東京へと場所を移し、時系列も入り組み多くの伏線を落としながらそして最後は見事にそれらを回収し結末を迎えるという物語として文句のつけようがないのだが、作中の文章すべてが津田が書く小説とは限らない。津田が小説を執筆する過程や思考も同時に書かれていたり、津田が日記のように「事実」を記録している部分もあったりするので読んでいるとどこまでが「事実」(作中で実際に起こったことという意味の事実)でどこまでが小説なのか曖昧になる。しかし、それこそが津田が(あるいは佐藤正午が)この作品で狙っていることなのだろう。事実と小説の関係性、事実としての物語と小説としての物語はどこかどう違うのか、作家はそれをどのように考えて書くべきなのか。この作品は津田(あるいは佐藤正午)が小説の可能性を探り、そして小説とは何か、どうあるべきか、といった小説の本質について語った作品としても読むことができる。


  小説の世界と現実の世界の境界をどこに設定するのか、現実に起こった出来事を小説にする際に何を書き何を書かないのかといった津田の制作過程は読んでいてとても興味深い。そして津田は言う、何を書いて何を書かないかそれは作家の自由だ。現実の世界では事実は書き換えることができないが、作家は事実を曲げることができ、「事実」を心ゆくまで書き直すこともできると。


 小説家が作品を執筆する際にまったくのゼロから書くということはおそらくないと思う。これまでの経験や出会った人々から何かしらかのインスピレーションを受けて書き始めるだろう。自分が経験した事実をどこまで曲げて作品に落とし込むのか。あるいは事実で得た思考をどこまで物語へと飛躍できるか。小説家にはこの能力が必要になる。物語は事実のみからなっているわけではなく、そこにあった事実と、可能性としてありえた事実とからなっていると津田は言う。「可能性としてありえた事実」をどこまで考えることができるかというのが物語のおもしろさになり小説家の腕の見せ所にもなるのだろう。

 

 物語を「可能性としてあり得た事実」にまで押し上げるには細部の描写も必要になる。一見物語と関係のないような描写、長々としたシーンの描写であってもそれがあるのとないのとでは読者が感じる「あり得た事実」感が変わってくる。人物や風景やシーンの描写をじっくり読むことで読者にとってそれが次第に事実へと近づいて行く。その描写が真実を補強する書き方なのかダラダラとした作家の自己満足な表現なのか、その質もまた小説家の力量の差になるのだろう。


 長い小説には長い意味がしっかりとあるのだ。

 

 そしてもうひとつ、津田がこだわっているのが小説と読者の関係性についてだ。小説家はなぜ小説を書くのか。落ちぶれて出版社との交流もない津田はなぜ小説を書くのか。誰のために小説を書いているのか。作中でこのような自問自答を何度も繰り返す。人に読ませる小説と人が読まない小説の違いとは何か。人に読んでもらえない小説を書く意味はあるのか。読者のいない小説をなんのために書くのか。誰にも読まれない小説は紙くずも同然か。結局彼自身にも分からない。小説を誰に向けて書いているのか。誰のために語っているのか。


 小説に限らず文章とはそういうものかもしれない。手紙は明確な読者がいるがそれ以外の文章とは誰に向けて書かれるものなのだろうか。


 僕も仕事で記事を書いている。そのほとんどが広告の記事だ。書いていていつも思う。誰のために書いているのなのだろうか。クライアントのためか、読者のためか。読者とは誰だ。この記事を誰が読むのだろうか。読む人を明確にイメージできない文章は書いていて不安しかない。ネットの記事なら「いいね」やリツイートなどの反応があるだろうと思われるかもしれないが、僕が書いているメディアはクリック数しか見ることができない。この記事を読んで読者がどう思ったのかを知ることはできない。そもそも最後まで読んでいるかもわからない。自分のための文章でもないそんな文章をなぜ僕は書いているのか時々意味がわからなくなる。答えを出すとすれば、それが仕事で日々生きるため飯を食うためでしかない。


 小説もそうなのだろうか。津田はこのことに関して明確な答えを示していないが、印象的な台詞を残している。


「いったん書き方をおぼえてしまった以上、もう書かずにいられないんだよ。それが小説家の生きる道なんだよ。」


 書かずにはいられない。読者がどうとか、意味がどうとかではなく、書かずにはいられないのが小説家というものなのだろう。


 このブログも誰のために書いているのか。正直読者なんて考えていない。強いて言うなら自分のために書いている。自分に読ませるために書いている。普段の仕事が自分のための文章ではないその反動のようなものだと思う。

 

 僕も書かずにはいられないのだ。ただ、まだ書き方を覚えていないだけなのだ、そう信じて書き続けるしかない。

まだ遅くはない ーサラバ(西加奈子)を読んでー

 久しぶりに長編を読んだ。西加奈子のサラバだ。本屋で一行目を立ち読みしすぐにレジに向かった。


「僕はこの世界に左足から登場した」

 

 こんな一行目の小説が面白くないわけがないという期待と、どうやったらこんな一行目が書けるんだよという嫉妬が混じりながら複雑な気持ちで読み始めた。


 本作は主人公垰歩が生まれた瞬間から三七歳になるまでの「生き方」あるいは「生き方を見つけるまで」を描いている。厳密には垰家全員、姉の貴子、父の憲太郎、そして母の奈緒子の四人とその周辺の人々の生き方を描いている。と簡単に書いたがこれほどの長編だ、その内容を「生き方を描いている」なんてひとことで言えるような小説ではない。自分のこれまでの人生をひとことで表せないのと同じように。


 物語は歩の一人称で進んでいく。歩の視線を通した世界、そしてその世界を歩の思考がどのようにとらえているのかが年代ごとに描かれ、それと同時に歩を通して垰家のこと、とりわけ貴子のことが描かれる。


 歩は子供の頃から美少年で周りの人たちから愛されて育つ。一方で姉の貴子はご神木というあだ名をつけられ学校ではいじめられ母からも疎まれて育つ。こう聞くと誰もが歩の生き方を羨むだろう。しかしそこに描かれるのはいつも誰かと自分を比べて周りが自分をどう見ているのかを気にする歩の姿だ。うまくいかない自分を誰かのせいにする歩の姿だ。まるで歩が悪者のように聞こえるがしかし、誰しもが歩と同じではないだろうか。毎日の生活の中で誰かと自分を比べずにただ一心に自分の幸せだけを求めて生きて行くことは難しい。それが必ずしも正しいとは限らない。しかし、垰家の歩以外の人々は自分の生き方に真っ直ぐに向き合って突き進んで行く。自分の幸せを全力で掴みにいこうとする。


 なぜそれが可能なのか。それは三人とも信じるものがあるからだ。三人ともよりどころを持っている。それは他人が決めたものではなく自分自身でつかみ取ったよりどころだ。しかし歩にはそれがない。貴子に言わせると、信じるものを持たない歩は揺れている。歩はそのことに三十七年間も気づかない。


 奇しくも僕も今年で三十七歳だ。僕にはあるだろうか、信じられるものが。自分で決めた、これだという信じられるものが。三人の生き方を見てはっきりと分かった。僕も歩と同じように信じられるものを未だに見つけられていない。なぜそう感じたか、それは歩の生き方を読んでいて身にしみる思いがしたからだ。自分と誰かを比べ、周りには興味のないふりをしながらも評価を気にして生きてきた。自分がこれだと思ったものをすぐにあきらめ、自分以外のなにものかのせいにし、これまで生きてきたように思う。もちろんそれでも生きていける。けれどその生き方の先になにがあるだろうか。歩のように揺れて生きる。あっちに行き、こっちに行き、その都度で考えを変え、自分を変える。変化の激しい今の時代なら、かえってこのような生き方の方が合っているのかもしれない。そういう生き方を推奨する識者の記事も読んだことがある。しかし、それはやはり逃げなのだと僕は思う。


 では自分が信じられるものをどのようにして探し出せばよいのか。そのヒントが貴子の生き方にあるように思う。彼女は子供の頃からおかしな行動ばかりをとってきたが、その行動のすべてが信じるものを見つけるための行動だったのだ。貴子は他人を気にせず色々と試した。自分にとって何が大切か。自分は何を愛せるか。必死で探したんだと思う。自分は愛されていないというのがわかっていたにもかかわらず。それを恨みやつらみにかえるのではなく。信じたと思ったものに裏切られることもあっただろう。それでも貴子は必死に信じられるものを探した。


 それを見つけるには相当な長い時間がかかる。貴子も歩も父の憲太郎も母の奈緒子も、長い時間をかけてやっと見つけることができた。おそらく彼らもそれを見つけようと強く意識して生きてきたわけではないだろう。生きにくいなと漠然と思うことの先に、なんとかこの自分の人生を生き抜くためにもがいた先に見つけるものなのかもしれない。


 そんなものなくても生きていけるという人もいる。そういう人はきっと別の部分で満たされている人だろう。効率よく生きている人かもしれない。悩まず笑って楽しく生きられればそんな効率のいい人生はない。けれど生きるということはもともと非効率なことなのではないだろうか。そして理不尽なことなのだと思う。だからこそ信じるものが必要なのだ。信じるものがないと生きていけないというのは決して弱い人間ではない。むしろ強い人間だ。それはこの小説に登場する人々を見れば納得がいく。


 損するかもしれない、誰かを傷つけるかもしれない、人に理解されないかもしれない、だとしても強く自分が信じられるものを見つけなければならない。そしてそれを見つけるためにかかる時間を受け入れなければならない。ぼくはすでに三十七だ。けれど遅くはない。これまで生きてきた時間からなのか、それともこれからなのか、ちょっとがんばってみようと思う。

サウナ小噺「十二分」

 大抵のサウナ室の壁には十二分時計という特殊な時計が掛けてある。十二分時計は時刻ではなく十二分という時間を計るためだけにある。十二分時計には秒針と分針の二つの針があり、秒針が一周すると分針が一つ進む。秒針が十二周すると分針は一周して元の位置に戻ってくる。これで十二分だ。時計の盤面には一から十二までの数字が書かれているので一見すると普通の時計に見える。初めてサウナに入った人はこの時計を見て驚くかもしれない。半日がたったの十二分で過ぎてしまうのだから。

 なぜ十二分なのか、このご時世調べればすぐに答えが出るはずだが未だに調べていない。サウナに入るととりあえず分針が一周するのを、つまり十二分経つのを座って待つのだ。

 僕は銭湯での時間をなるべくサウナに使うために体と頭は自宅で洗う。その日もいつものように自宅で体と頭を洗い近所の銭湯に向かった。

 ここの銭湯のサウナ室は段々畑のような作りでゆるやかな傾斜に五段ほどの座席が設けてある。一番下の段にはテレビ台と業務用冷蔵庫二個分ぐらいの大きさの熱波を放出する機器が木製の柵越しに見える。僕はいつも一番上の段に陣取ってテレビと十二分時計を交互に眺めるのだ。

 午前八時からやっているその銭湯はいつも行く午前九時にはすでに数人のお客さんで賑わっている。賑わうといってもサウナ中に話をする人は誰もいない。静かに座りただテレビを眺め、ときおり十二分時計に視線を送る。 

 その日は珍しくサウナ室には誰もいなかった。

 僕の目に映るもので動いているのは十二分時計の秒針と分針だけだ。厳密に言うとテレビに映し出されたトーク番組に出演している芸能人も動いていたが、僕とサウナ室という空間を共有していたのは十二分時計だけだった。

 ぼんやりとテレビを見ながら気づいたことがある。普段なら六分もすれば体中から汗が吹き出してくるはずが、僕の体は何の変化も起こしていなかった。たしかサウナに入ったとき分針は二を指していたはずだ。いや、三だったかもしれない、あるいは一だったかもしれない。わからない。自分がいつサウナ室に入ったのか、サウナ室に入った時に分針がどの数字を指していたのかわからなくなっていた。六分経ったと思っていたのは間違いだったのだろうか。いや、六分は経っているはずだ。確実にそう言えるだろうか。回る秒針を見つめた。そしてゆっくりと少しずつ動く分針を見つめた。

 こうなるともはや十二分時計は何の役にも立たなくなる。いつひっくり返したのかわからない砂時計で時間を計るようなものだ。砂時計であれば砂がすべて落ちるという終わりがあるが十二分時計には終わりがない。どこが十二分なのか分からないまま秒針と分針は回り続ける。

 僕とサウナ室の関係は十二分時計で成り立っていた。そして僕と十二分時計の関係はサウナ室で成り立っていた。十二分が計れない今となっては終わりのない時間の中で僕は完全に一人だった。

 いつ出ればいいのかタイミングがわからないまま数分が過ぎた。木製の重い扉が開き一人の老人が入ってきた。何度か見たことのある常連の老人は痩せて皮膚が垂れてはいるが色黒のせいか垂れた皮膚の向こうに筋肉質的な硬さがあった。老人は入ってくるなり一番下の段の熱波を放出する機器の前に寝転がり目を閉じた。

 僕は銭湯やサウナで話しかけられるのがあまり好きではない。話かけてきそうな雰囲気を出す客(たいてい老人だが)がそばに来ると死んだような薄眼でテレビを見つめるようにしている。その老人も以前は何度か僕に話しかけようと上の段の僕の定位置の隣に座ってきたことがあったが僕はそれをすべて老人の独り言として処理していた。

 目を閉じて横になっていた老人は立ち上がると僕の方に向きそして前屈の姿勢になり自分のお尻を熱波を放出する機器に向け平手で叩き出した。それが終わると今度は回れ右をして向き直りしゃがんだかと思うと両足を左右に大きく開き今度は股間を機器に向けまた自分の尻を平手で何度も叩いた。

 まるで僕に対する挑戦状のようだ。これを見せられて「何をやっているんですか」と聞かずにいられるか。サウナ室には僕と老人しかいないのだ。

 前向きと後ろ向きの平手打ちが終わると老人は僕を見た。というより僕が老人を見ていた。

「今日は人が少ないので思わずやっちゃいました。すんませんね」

 老人は少し恥ずかしそうに言った。

「健康法か何かですか」

 この状況でこの台詞が出てきた自分の臨機応変さに気分を良くした僕は自然と老人に笑顔を送ることができた。

「いつも家でやってるんです。これやると気合が入るんでね。一度ここでやってみたいと思ってまして。お兄さんしかいなかったもんだから」

 そう言うと老人は声を出さずに笑うと会話の終わりを意味する会釈をしサウナ室を出ていった。老人が出て行く間際に僕は聞いた。

「いつも何分ぐらい入ってますか」

 老人は重い木製の扉に手をかけると僕の顔を見て僕が向けた視線を追った。

「あんなところに時計があったんですね」

 もう一度会釈をするとハゲているのか短く刈り込んでいるのか区別がつかない頭をさすりながら出ていった。

 僕は十二分時計を見た。いったい何分ここにいたのかさっぱりわからなかったがもうどうでもよくなっていた。

 その瞬間、体から大量の汗が噴き出した。

無料の価値とは

 映画や漫画を見たり読んだりするときにハズレを引くということがなくなった。事前にネットで情報が得られ、口コミなどですでにそれを体験した人たちの感想を見ることができるようになったからだ。面白そうなら見ればいい、面白くなさそうであればやめればいい。時間とお金をそれにつぎ込む価値があるかどうか、人は意外とシビアに判断している。 小説はとくにその判断がシビアになる。かける時間が映画や漫画よりもはるかに長くなるからだ。自分の人生の10時間をこの本に費やして大丈夫か、ちょっと大げさかもしれないが、僕は書店で本を選ぶときに時間も考えながら選んでいる。

 ハズレという観点では小説も映画や漫画と同じで事前にいくらでも情報を得ることができる。ちょっと立ち読みをすれば中身を知ることができる。これは映画や漫画にはない良さだろう。つまり小説の方がハズレを引く可能性は低いといえる。たまには立ち読みをして良さそうだなと思って買って読み進めていくうちに、面白くなくなってしまうことはある。そんな面白くない小説はこれまでの読書経験で数えるほどしかないが、久しぶりにおもしろくない小説に出会った。それが『   』というタイトルの小説だ。なぜタイトルが『   』なのか、それはまだタイトルが付いていない小説だからだ。

 講談社が進めている「本づくりプロジェクト」という企画がある。これは小説を無料で公開しそれを読んでもらい、扉絵を募集したりタイトルを募集したりする読者参加型の企画だ。この第二弾が、とある小説を読んでタイトルをつける、というものだったのだ。

 ここに一つの落とし穴があった。「無料」だ。「タダ」だ。タダで小説が読めるのだ。タダなら読んでみようと、何も考えずにその著者の過去の作品も調べずに読み始めたのだ。 著者行成薫のこの作品は、連作短編集だ。とある遊園地の閉園をきっかけに、それにゆかりのある人々に起こる出来事を描いた作品だ。語り手は中学生から老人までと幅広い。こう書くとなんだかおもしろそうな小説に思えるが、実際はそうではなかった。

 本書の第1話を要約するとこうだ。とある中学生の男女が閉園の日にダブルデートで遊園地に行く。ジェットコースターが苦手な一組の男女がいる。まだ付き合ってはいない。一緒にジェットコースターに乗る。物語の最後に女子が海外へ転校することを知った男子が女子に告白するもフラれてしまう。

 これを読んだときに、これはまずいなと感じだ。この話の何がおもしろいのだろうか。どこかで聞いたことがあるような、ベタなラブソングにあるような話だ。その後の話もどこかベタでよくあるよね、と思ってしまうような話ばかりなのだ。

 離婚した男性が、妻に親権のある息子と遊園地にやってくる。ゴーカートで勝負をして負けたら息子の願いを何でも聞くという約束をする男性。結果は負けてしまい、息子の願いを聞く。すると息子はお母さんともう一度話をしてみてほしいという願いを男性に告げる。おそらくこの話を読んだほとんどの人が予想していた結末だ。男性が昔プロのレーサーを目指していて、それが原因で離婚してしまい、といった過去もあるのだが、それにしても「物語のお手軽感」は否めない。

 この時点で読むのをやめてもよかったのだがとにかく最後まで読み切った。といっても後半は2,3行飛ばしながら読んだのだが。

 これほどに面白くないと思ってしまった理由は無料で読めるという点にもあると思う。自分でお金を出して買った本であればたとえ面白くないと気づいたとしても自分の感性で買ったのだから、自分がお金を出して買ったのだから、どこかに面白いところがあるはずだ、と読み方も変わったかもしれない。この小説は面白くないかもしれないと気づいたときに「無料で読ませる小説だし」という感覚が僕の中のどこかで顔を出した。それが顔を出してからはとことんこの小説が面白くないと感じるようになってしまった。無料で読むことで小説に対する作家に対するリスペクトのようなものが一切なくなってしまった。だから僕はこの文章を書こうと思ったのだ。自分の時間をこの文章を書く時間に当てることが僕の作家に対するリスペクトだ。たとえそれが作品を批判する内容であったとしても。 無料で小説を公開して成功した例もある。「ルビンの壺が割れた」という小説だ。これも今回と同様に「この本にキャッチコピーをつけてください」という読者参加型の企画でネット上で無料で公開された。僕も読んでそこそこ面白いなあという印象を抱いた。ツイッター上ではこの本を大絶賛するツイートがあふれているが、そこまで言うほどか?というのが僕の印象だ。しかし、この作品はその後製本され本屋に並び大ヒットとなった。作品の力もあっただろうが、このネット上で話題も作品の売り上げを後押しすることになったと思う。

 面白いか面白くないかは個人の基準によるのでこの小説を面白いと思う人は当然いるだろう。しかし、小説をどう読むかでその感覚が変わる。僕は「出来事」を語る小説が苦手だ。今回で言うと「遊園地の閉園」という出来事が作品の中心にある。もう少し人について語って欲しかったし、語るなら誰もが思いつくようなベタな展開はやめて欲しかった。「ルビンの壺が割れた」は人にフォーカスしているとは思う。しかし、読者を驚かそうとする作者の意図が見えてしまうので興冷めてしまった。

 様々な娯楽が世の中にあふれる現在で、読書に時間を割いてもらうためには「簡単に読める話」「わかりやすい話」「わかりやすい共感」が求められるのかもしれない。読み終わった後に何か発見があるのではなく、「そうだよね!この感覚みんな持ってるよね!こういう経験みんなするよね!」といった共感が求められているのだろう。そこで僕は今回読んだ小説にこうタイトルをつけた。

『よくある話』


 簡単に共感できるよくある話の小説は今後読まないように気をつけよう。


 本が売れない時代に出版社は様々な手段を使って本を売ろうとする。しかし、その行き着く先が無料だとむなしい。読み手だけでなく作り手さえも「無料」だからいいか、という感覚でいるとすれば、小説に関わらず、今無料で公開されているコンテンツに未来はない。


 そこで思うのは「新しい売り方」をするときに、売る側に作品に対するリスペクトがあるだろうか、ということだ。読者が楽しめるものを提供するのは当たり前だと思うが、とりあえず無料で提供する、ネットで話題になることを第一に考えるのではなく、作品の質を高めるのも出版社の役割だ。今回読んだ作品はただ面白くないというだけでなく、物語の構成やつながりの部分において違和感のある部分が多かった。 


  面白くないと感じた小説を、面白くないとはっきりと表明するのにはリスクがある。何事も批判することにはリスクが伴う。おまえはどうなんだ?そもそもおまえの読み方が間違ってるぞ、なんて言われて言い返せなかったときのことを思うとそう簡単に何かを批判することはできない。しかし、面白くないときに黙るのではなく、なぜ面白くないのかをきちんと説明して批判するのであればそれはそれで意味のあることだと思う。無料でそのコンテンツを享受しているからこそ、批評、批判は必要だと思う。


 無料で公開されて、しかも無視される、これはコンテンツにとって地獄だ。