本とゲームとサウナとうんち

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「SDGs」と「人類の進歩と調和」

SDGsという言葉を最近よく聞く。「エスディジーズ」と読み「Sustainable Development Goals」の略で「持続可能な開発目標」と訳す。2015年に国連で採択された。

SDGsの大まかな内容について、外務省のホームページにあるPDFにはこう書かれてある。

1.貧困や飢餓、教育など未だに解決を見ない社会面の開発アジェンダ

2.エネルギーや資源の有効活用、働き方の改善、不平等の解消などすべての国が持続可能な形で経済成長を目指す経済アジェンダ

3.地球環境や気候変動など地球規模で取り組むべき環境アジェンダ

簡単に言うと、今目の前にある問題を解決しつつ、経済も発展させようという「いいとこ取り」の施策だ。

何のリスクもなく問題を解決できるならそれが一番いい。しかし、今の世界にある問題を、SDGsの活動で解決するには無理がある。

そもそも「持続可能な開発」という言葉に矛盾がある。これまでの歴史を見れば開発には破壊がつきものだ。開発は破壊だ。持続可能とは正反対の概念だ。環境を守りつつ、経済を発展させる。世界中の格差をなくしつつ、経済を発展させる。矛盾でしかない。

何かに似ている。そうだ、1970年に開催された大阪万博のスローガンだ。

「人類の進歩と調和」

人類が進歩しつつ、地球環境と調和する。「持続可能な開発」と考え方が似ている。1970年、これに異を唱えたのが岡本太郎だ。彼は「人類の進歩と調和なんてあり得ない」と、アンチテーゼとして太陽の塔を建てた。

環境や格差などの問題を解決することは大事だ。しかし、そこに必ずも「開発」はなくてもいいのではないだろうか。開発は経済だ。経済はリスクを悪と考える。つまりリスクのあることはしない。俗な言い方をすると、儲からないことはしない。これが資本主義だ。本当に問題を解決したいのなら、持続可能な世界を実現したいのであれば、一度何かを止める、何かを戻す、という考え方も必要だ。

一部の人間が富を支配しながら貧困を解決するのは不可能だ。今のままエネルギーを消費しながら経済までも発展させるのは不可能だ。「人類の進歩と調和」も「SDGs」も資本主義とは相性が悪い。いざとなったら、人は経済をとる。開発を優先する。

東日本大震災で都心では計画停電が実施された。エネルギーのありがたさや原発の怖さを知った。人類の進歩と調和が難しいことを知った。世界的に格差が広がり久しい。コロナの影響でさらに格差が広がりつつある。SDGsがどんな役割を果たすのか。企業は早速ビジネスに取り入れている。自社を進化させるために、売り上げを上げるために。いつだったか、元アイドルが「SDGs、何かやってますか?」と聞かれ「できるだけ長く着れる服を買うようにしています」と答えていた。これからSDGs関連の商品やサービスが増えるのだろうか。その売り上げがどれほど問題解決に寄与するのだろうか。

進化しなければならない、発展しなければならないという考え方は人を窮屈にさせる。昨日と同じ今日でもいい。昨日より悪い今日があってもいい。立ち止まり、過去を振り返る時間が必要だ。

しかし、資本主義はそれを許さない。人は企業は経済活動しなければ生きていけないことになっている。皆自分がかわいい。自分が大切だ。「開発目標」だけでなく、どれほど「持続可能」に意識を割いて生きていけるか。難しいだろう。