本とゲームとサウナとうんち

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創作 お題「奇策」:タイトル「パンティ」



きさく【奇策】
だれも思いつかないような、奇抜な計略。奇計。「―縦横」
三省堂 新明解 国語辞典 第七版 P338

 



自宅のベランダに女性用の下着が落ちていた。いわゆるパンティというものだ。独身彼女なしの僕の住む家のベランダに黒いパンティが落ちていたのだ。一目見てパンティだと解ったわけではない。干していた靴下が落ちたのだと思い手に取ると、予想以上に軽く、目の前で広げて初めてパンティだと気づいた。黒をベースに、前方の大事な部分と後方の肛門部分以外はレース生地で、ところどころ赤い花柄の刺繍がある。こんなパンティは動画の中でしか見たことがない。

梅雨が明け、久々に晴れた日を有効に使おうと、その日は平日にもかかわらず早起きをして、溜まった洗濯を片付けてから仕事に向かった。近所を見回すとどこの家のベランダにも多くの洗濯物が干されてある。こんなパンティがもし目に入っていたとしたらきっと記憶に残っているはずだ。
僕の住む二階建てのアパートは、一階に二部屋しかなく、二階には大家さんが住んでいる。隣の部屋はもう一年以上入居者がいない。靴下のままベランダに出て近所を見回す。こんな時間にまで洗濯物を干しているベランダは一つもなかった。パンティを持ったままいつまでも外にいるわけにもいかず、僕はパンティを小さく丸めてポケットにしまうと、洗濯物を取り入れた。

上京した十年前から使っているちゃぶ台の上にコンビニ弁当とパンティが並んでいる。腹が減ってはいたが、持ち主のわからないパンティを前に落ち着いて親子丼を食べられるほど僕は大人ではなかった。

右手は自然とパンティに向かった。手にとって再度広げてみる。くしゅっとまるまったそれは思いの外よく延びた。何度か左右に広げ意味もなく強度を確かめる。

「意外としっかりしてるんだなあ」

そう言葉にすることで、パンティの性的な部分ではなく機能性に注目しているんだと自分に言い聞かせた。

初めて見たのはお袋のパンティだ。形はまったく僕のブリーフと変わらず、「白は僕の、ベージュはお母さんの」と色だけで区別していた。パンティという概念はそのときにはなかった。初めてことにおよんだ女性のパンティはどうだっただろうか。下着をゆっくりと確かめる余裕なんてなかった。

あれ以来僕はパンティを見ていないのではないか。今目の前にあるパンティが人生で三人目の女性のパンティだ。

スマホの時計を見ると午後十時を過ぎていた。

ひとつ深呼吸をすると、パンティを視界に入れないためにちゃぶ台の下に置き、親子丼のフィルムをはがした。

目が覚めると視線の先、手の届く位置にパンティがあった。朝目覚めて真っ先に見るものがパンティという人生初めての経験に一気に目が覚めた。昨夜のことを思いだし、おもむろにパンティに手を伸ばす。横になっているせいか昨日よりもパンティが近い。ほんのりといい香りがする。洗剤の香りだろうか。左手でパンティを握りながら、右手をゆっくりと下半身へと持って行く。

(だめだ)

してはいけない。昨夜も思い描いていたが、親子丼のおかげでなんとか踏みとどまったのだ。誰も見ていない。誰のパンティかも分からない。ここで僕がしても誰にも迷惑はかからない。けれど、パンティを穢すことになってしまう。これまで見てきた様々な動画の女優さんの顔が浮かぶ。みんなこんなパンティを履いていた。起きるにはまだ早かったが、布団から出ると小さなタオルでパンティを包み、テレビ台の上に置いた。

梅雨が明け、一週間ほど経っていた。いつもより強く鳴く蝉に導かれるように僕は空を見上げた。向かいのマンションの二階のベランダに揺れる真っ白いタオル。その隙間から縦に長いものがタオルの揺れに合わせてちらちらと見えた。遠目でもレース生地に赤い花柄の刺繍が見える。ブラジャーだ。タオルで隠すように干されていたブラジャーは、僕の立ち位置からだけなのか、そこしかないという隙間からはっきりと見えた。僕のパンティとセットのブラジャーだ。いや、「僕の」ではない。僕の部屋のベランダとの位置関係から考えると向かいのベランダから飛んできたと考えるのが当然だろう。驚きよりも、持ち主が分かったことの安心感が強かった。本当はセットで使いたいはずなのに、彼女はブラジャーだけ使い、パンティは別の色または柄を使っているのだ。黒地に花柄の刺繍が施されたブラジャーに合うパンティは一つしかない。

(返さなければ)

あのパンティで「しなかった」自分を褒めた。もししていたら、もう返せない。

どう、返せばいいのだろうか。

「パンティ、落ちてましたよ」

なんて言えるわけがない。しかも、彼女のパンティが風で飛ばされ僕の部屋のベランダに奇跡的に落ちたのはもう一週間も前の話だ。今更「落ちてましたよ」と返しにいったのでは怪しまれるに決まっている。こっそりポストに入れるのはどうだろう。マンションの入り口に並んだポスト。名前は書かれていないが部屋番号でどのポストが「彼女」のものかは分かるはずだ。丁寧に畳んで清潔感のある袋か箱に入れポストに投函しておこう。「落ちていました」とか「拾いました」とか何か手紙を入れたほうがいいだろうか。男の文字だと気持ち悪い。女友達に書いてもらおうか。そんなことを考えていると、マンションの入り口から一人の女性が出てきた。ぼーっと突っ立ている僕に一瞬驚き、驚かされたことに明らかにいらついた表情を一瞬見せたが、すぐに柔らかい笑顔になり「おはようございます」と小さな声で挨拶をしてくれた。髪はロング。派手な顔だが、丁寧な化粧でどこか清楚さもある。年齢は僕と同じぐらい、あるいは少し年上の三十代前半だろうか。

(この人だ)

直感だった。証拠も何もない。僕にはこの女性があのパンティとブラジャーを付けている空間がはっきりと頭に浮かんだ。

(返さなければ)

彼女は視線を、同じ場所に突っ立って何も言葉を発しない僕から彼女の背後斜め上に向けるという不自然な動きの後、僕には視線を戻さずに会釈をし四センチぐらいはあるヒールの音を響かせながら細い道を大通りへと向かった。

彼女が向けた視線の先には防犯カメラがあった。ちょうどマンションの入り口とポストを捉える位置にある。彼女のポストにパンティを返したとしても、それが僕の仕業だと分かり、運が悪ければ下着泥棒で逮捕される可能性もある。
(いったいどうすれば僕はパンティを彼女に返せるんだ)

苦悩する台詞が頭に浮かんだが、これはただのフリで「返せないのだから、自分のものにして自由に使ってもしょうがないよね」というずっと奥にしまっていた本心が顔を出す。パンティを見つけてから約一週間、ずっと我慢できた自分をここで否定するわけにはいかない。男性が女性にパンティを渡しても違和感のないシーンを思い浮かべてみる。
「あ」

プレゼントだ。プレゼントという方法なら女性に堂々とパンティを渡すことができる。プレゼントと称してあのパンティを彼女に渡せば僕の目的は達成されるのだ。

「実は君に渡したいものがあるんだ。僕たちが出会ったときのこと覚えてる?あのときからずっと渡そうと思ってて。なかなか渡すタイミングがなくて、一周年記念ならちょうどいいかなと思って。何か分かる?はい、これ。開けてみて」