本とゲームとサウナとうんち

ライターが書くブログです。本とゲームとサウナとときどきうんちが出てくるブログです。

例えばそれが落ちているだけで

道に落ちているものに興味を示すのは小学生ぐらいまでだろう。分別がつく年齢になると何が落ちていようが関係ない。財布やバッグなど自分に役に立ちそうなものなら拾うかもしれないがそんなものが落ちていることは滅多になく、落ちているもののほとんどがゴミや役に立たないものだ。

その役に立たないものを見て何か考えることはないし、次の瞬間には何が落ちていたかも忘れてしまう。

 

しかし稀になぜそこにそれが落ちているのか考え込んでしまうこともある。

 

僕が勤めている会社は東京でも有数の歓楽街にある。中心部にはクラブや飲み屋が立ち並び、街の外れには皆で話し合って建てたかのようにラブホテルが並んでいる。

 

乗り換えの関係で、僕は会社の最寄駅は使わずに一つ離れた駅から歩き、その途中でラブホテル群の前を通る。とあるラブホテルの前を通った時だ。そのホテルの隣にはホテル所有ではなく時間貸しの駐車場がある。

 

そこにそれは落ちていた。

 

コンドームだ。封の空いたコンドームだ。しかも使用済みで中にモノが入ったままのコンドームだ。

 

こういう街なら外でやっちゃう輩もいるだろうな、と目を背けて通り過ぎた。

 

しかし、なぜかそのことが頭から離れなかった。使用済みで中にモノが入っているというなかなかビジュアル的にパンチが効いていたせいもあるだろうが、そうではなく「なぜ隣にラブホテルがあるのにわざわざ危険を冒してまで外でやったのか」という違和感があったからだ。

 

外でそれをやるのはかなりリスクだ。逮捕される可能性だってあるだろう。目の前にラブホテルがあるにもかかわらず、なぜそのリスクをとったのか、どういう状況なら外でせざるを得なくなるか考えてみた。

 

●ホテルに行くお金がなかった

駐車場の隣にあるラブホテルは決して安いとはいえない。ホテルに行くお金がもったいないと考えた二人は、「夜だし、あまり人も通らないし(その駐車場がある通りは人通りが少ない)外でやってしまおう」ということになったのだろうか。

 

●我慢できなかった

ホテルが目の前にあるにも関わらず、受付する時間すらも我慢できずにその場でしてしまったのだろうか。

 

●誰かに見せたかった

そういう癖のある二人だったのだろうか。

 

●そういう撮影だった

なるほど、外でやる企画ものだったという可能性もある。しかしその場合、終わったらきちんとADさんが片付けるべきだろう。小さなプロダクションだったのだろうか。

 

●一人でした

これも大いに考えられる。コンドームを使うのに二人いる必要はない。一人でも使える。しかし一人でしたければわざわざ着ける必要はない。もしかするとその人は着けないといけない癖の人なのかもしれない。

 

●車内で

この可能性が一番高い。駐車場に車を停め、車内でし、そこに捨てた。ホテルの近くまで来たけれど車内でしてみようよ、なんて盛り上がったのだろうか。

 

おおよそ考えられる可能性はこれくらいだろう。

 

落ちているもの、しかも役に立たないものの奥にこれだけのストーリーがあるかもしれないと思うと人間を理解することの難しさを感じた。

 

可能性は、今僕がここに挙げた他にもまだまだある。さらにいずれかが正しかったとしてもその時の気持ちは人それぞれだ。使用済みコンドームが落ちている理由、その時の気持ちを考えると人間という存在の宇宙を見た気がした。

それからも毎日そのラブホテルの前を通りすぎるたびにあれが落ちていないかなぜか探してしまう。大事な何かを見落としている気がするのだ。そしてある朝、ホテルを見上げた僕はもう一つの可能性を見つけた。

 

●ホテルの窓から捨てた

路上に捨ててあるということに引っ張られて、屋外で使用したのだと思い込んでしまっていた。屋内も考えられるのではないだろうか。

事が終わったあとに、よくわからないノリになった二人はホテルの窓を開け使用済みコンドームを投げ捨てたのだ。このホテルは一階がホテル所有の駐車場になっており二階からが客室だ。どの客室からでも軽く投げれば隣の駐車場にまで届く。

 

一番あり得ない可能性だが、これが一番人間らしいと僕は思った。

 

●落ちているものをめぐる話はこれで終わりではない

 

こちらの写真を見て欲しい。

 

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とある街の路上に靴が落ちていた。しかも片方だけ。この光景を見た瞬間にこの靴から目が離せなくなった。なぜ片方だけなんだ?両方落ちていたらここまで強く違和感はなかっただろう。そしてこれが手袋なら見過ごしていただろう。

 

なぜ手袋なら見過ごしていたのか。それは路上に手袋を落としてしまうシチュエーションを容易に想像できるからだ。はめていた手袋を何かの都合でポケットに入れ落としてしまったとか、バックに入れていた手袋が何かを取り出した拍子に落ちてしまったとか。

 

しかし靴はそうもいかない。靴は屋外では常に履いているものだ。うっかり脱げたとしてもすぐに気付くはず。そしてなぜ両方ではなく片方だけが落ちていることに強く違和感を感じたのか。それは僕たちが靴というものを2つで1つと認識しているからだ。あるはずのものがそこにない違和感が路上に落ちた片方の靴から強く発せられていた。

 

その証拠にその靴のそばを通る人たちは皆靴に注目し指差したり笑ったり、中にはふと視線を落とした先に転がったそれを見つけて「うお!」と声をあげる人もいたり、踏みつけそうになり慌てて犬のフンを避けるかのように大げさに体をひねって通り過ぎる人もいた。

 

なぜ片方だけ落としてしまったのか。考えてみよう。

 

●酔っ払って

酔っ払って片方の靴が脱げたことに気づかなかったのだろうか。

 

●引越しの途中で

軽トラックの荷台に載せた段ボールに入れた靴が揺れで落ちてしまったのだろうか。

 

●友達のイタズラ

遊びに来た友達が帰るときにイタズラで片方だけ持ち出して路上に放置したのかもしれない。

 

●風で飛ばされた

ベランダに干していた靴が強風で飛ばされ路上に落ちてしまった可能性もある。

 

●何かの実験か作品か

そして、僕が一番可能性を疑ったのがこれだ。あまりにも不自然なその光景、違和感、その違和感に翻弄される通行人を見ていて、これは何かの実験、あるいは作品なのではないかと思うようになったのだ。

 

周りの建物を見回してみたがカメラを回している人はいない、しかしどこかに隠しカメラがありこの反応を楽しんでいる可能性がある。

 

こんなにもエンターテイメントが溢れている今、たった一足の靴、しかも片方だけの何の役にも立たない靴が人を楽しませている。

 

誰かが仕掛けたアート作品なのではないかと思えてしかたないのだ。

 

それからまたしばらく眺めていたが何も特筆すべきことは起こらなかった。夜に再び見に行ってみると脇に移動させられてはいたが、やはりそのままだった。

 

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夜になってもそのままということはこの靴を落とした人は片方なくなったことを受け入れたということだろう。その人にとってその靴はどうでもよかったのだ。

 

●落ちているモノと落ちている場所の関係性。

コンドームは落ちているモノは普通だが場所に違和感があった。靴は落ちている場所は普通だが片方だけというモノに違和感があった。

 

いろいろなことが自動化・効率化・合理化される今、違和感というものは減ってきている。なぜならそういった技術や考え方は違和感をなくすためにあるからだ。そして違和感は何の役にも立たない。

 

けれど違和感には強烈な人間らしさが宿っていると思うのだ。

ラブホテルの隣の駐車場に落ちていたら使用済みコンドーム、路上に落ちていた片方だけの靴。人間でしかなし得ない。

 

そしてこの違和感、人間らしさを見つけた時少しだけ心がホッとするのだ。