ごめん、志村。ありがとう、志村。
志村けんが死んだ。
僕はその知らせを病院で知った。妻の付き添いでけっこう大きめの総合病院にいた。妻の採血を待つ間、ふとスマホを見ると、
志村けん(70)死去
という文字と、いつ撮影したのかわからない笑顔の志村けんの写真があった。
病院という場所もあったのだろうか、何か現実ではないような、時間が止まったような感覚になった。
志村けんが死んだのだ。それは理解できた。コロナに感染したのは知っていた。けれど死ぬなんて思いもしなかった。
死去という文字とその笑顔を見て、呼吸をしているけれど、呼吸が止まったような僕だけの動きが止まったような、そんな感覚だった。
30代後半の人なら、初めて見たお笑いが志村けんという人は多いと思う。僕もそんな一人だ。
とは言っても僕はドリフ世代ではなく、かとちゃんけんちゃん世代だ。断然、志村派だった。志村けんがテレビの中にいるだけでワクワクした。何もしていなくても、志村が出ているだけで楽しかった。
漫才をするわけでもない、コントをするわけでもない。いや、きっと当時、それはコントだったのだろうが、僕にとってそれは「志村」だった。お笑いが好きというよりも志村が好き、志村が面白かった。
今のお笑いも当然おもしろい。けれど、それはネタの面白さだ。M-1チャンピオンのミルクボーイのネタは面白い。けど、彼らを見ただけではワクワクしない。
裏番組でウッチャンナンチャンのやるならやらねばが始まっても僕は志村派だった。
そんな僕だったけれど、大人になるといつの間にか志村で笑わなくなっていた。志村に注目しなくなっていた。志村死亡説なんてゴシップも流れたときもある。あの禿げ頭をみっともないと思ったこともあった。僕は志村を必要としなくなっていた。
いつだっただろうか。当時僕は広告制作会社に勤めており、深夜に帰宅するのが当たり前だった。身も心も疲れ切った体を座椅子に投げ出しテレビをつけると、そこに志村がいた。コント番組のような、すべてアドリブのようなゆるーい番組だった。すっかり歳をとった志村を見て僕はなぜかとても落ち着いた。そしてワクワクした。子どもの頃、志村を見てワクワクした気持ちほどではなかったが、その日の仕事を少しだけ忘れることができた。その番組が何曜日の何時からなのかはっきりとはわからない。けれど、それからも深夜に帰りふとテレビをつけるとそこには志村がいた。
それからゴールデン帯でも志村を見るようになった。志村動物園なんて番組が始まったときはさすがに、なんで志村が、と思ったが、動物に向ける志村のやさしい顔を見るとなぜか落ち着いた。
そんな志村が死んだ。
僕は今まで芸能人の死に対して興味を持ったことは一度もない。ましてや泣きそうになったことなんてあるはずがない。
しかし、今回は違った。妻と志村の話をしようとすると言葉が詰まってしまうのだ。志村が死んで泣くなんてなんだかかっこ悪いと思い必死で涙をこらえた。
けれど、追悼番組や昔の映像を見るとどうしても目頭が熱くなり、息を止めないと涙が落ちてしまう。
なぜこんなにも、悲しいのか。それはやはり志村が子どもの頃のヒーローだったからだ。
そしてもうひとつ気づいたことがある。志村はどことなく親父に似ているのだ。あそこまで禿げてはいないが、顔の雰囲気は似ていると思う。そしてひょうきんなところも似ている。もちろん、志村のようなギャグはしないがうちの親父も今でも冗談をよく言う。
志村の死の知らせを、遠い実家に住む親父の死の知らせのように僕は受け取っていたのかもしれない。
もっと志村で笑っておけばよかった。大人になってからもバカ殿を見ておけばよかった。一度ぐらい志村の舞台を見に行きたかった。
生き残った人間は勝手なことばかり言う。
ごめん、志村。
ありがとう、志村。