本とゲームとサウナとうんち

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盆を戻すか戻さないか

立ち飲み屋や立ち食いそば屋やラーメン屋で、食べ終わったあとにカウンターに器やジョッキを戻す。
誰もが経験したことがあるだろう。店によっては食べ終わった皿はカウンターに置いてください、なんて張り紙をしている店もあるが、そうでなくても食べ終わったらカウンターに器を戻し、台ふきがあればそれでテーブルを拭く。そこまでしてから店を出る。するとお店の人が大きな声で

「ありがとうございました!」

と言ってくれる。双方が気持ちがいい。とくに客である僕らはお気に入りのお店の役に立てたという感覚がある。

けれど、そうでないときもあるのだ。

会社のそばにある立ち食いそば屋に行ったときの話だ。店内は立ち食いスペースだけでなく椅子席もあるが、そんなに広くはなく一度に入れるのは多くても15人ぐらいだ。

店員さんは厨房に2人。フロアに1人。フロアには決まって背の低い声のよく通るおばちゃんがいる。顔なじみというほど通っているわけではないが、気さくで話しやすく常連さんともよく話をしている。

その店は券売機で食券を買い、カウンターに置くとおばちゃんがそばかうどんかを聞き、それを大きな声で厨房に伝える。そばができると、客が取りに行く。まれにおばちゃんが席まで持ってきてくれるときもある。

そして、ここからが本題だ。その店は狭さからか返却口というものが存在しない。だから客は食べ終わると器の乗った盆を持って厨房のそばまで持って行く。するとおばちゃんが受け取ってくれる。ほとんどの客がそうする。立ち食いそば屋では見慣れた光景だろう。

しかしそのときおばちゃんはこう言うのだ。

「そのままでいいですよ」とか
「そのまま置いといてくださいね」とか
「ありがとうございます。そのままでいいからね」とか

つまり、食べ終わった盆を席に置いたままにしといていいのだ。いつもその言葉を聞き、おばちゃんはわざわざ盆を戻しにくる客に気を遣っているんだなと思っていた。

そんなある日、いつもなら店が混まない午後2時ぐらいに行くのだが、その日は打ち合わせなどの関係で一番混む時間帯に行った。そこそこ混んでおり、次から次へと客が入っては出ていく。いつものようにおばちゃんの声が響く。
普段とは違いてきぱきと動くおばちゃんを見ているとあることに気がついた。

食べ終わった盆を客がおばちゃんに持って行くとおばちゃんの動きが止まるのだ。フロアを1人でまわしているおばちゃんにはやることがたくさんある。しかし、その動きが客が盆を戻すことでいちいち中断されるのだ。

もしかして「そのままでいいですよ」というのは客を気遣う気持ちがあるのはもちろんだが、おばちゃんが自分の仕事を円滑に進めるために言っているのではないかと思ったのだ。

客の中には盆を置いたまま出て行く客もいる。すると、おばちゃんはまず自分がやることを済ませ、そして盆を取り店の置くにある流しに持って行き、そしてまたフロアに戻ってくる。その動きはとてもスムーズだ。しかし、そこに客が持ってくる返却の盆が入ると、ブレーキがかかる。

うん、そのままでよかったのだ。おばちゃん、ごめん。おばちゃんのためを思って親切でやっていたことが、実はおばちゃんの仕事の邪魔になっていたなんて。

そのことに気づいた僕は心を鬼にして、食べ終わった器が乗った盆をそのままにして店を出た。

次の日、行ってみるとおばちゃんは相変わらず「そのままでいいですよ」と言っている。そして客は相変わらずおばちゃんに盆を渡している。絵に描いたようなありがた迷惑だ。しかし、それに気づいている人はいない。だからこそありがた迷惑なのだが。

ありがたいけど、迷惑。すれ違いだ。いいとか悪いとかではない。けれど、このすれ違いをなくすとすれば迷惑な方が行動を改めればいい。つまり、盆をおばちゃんに渡すことが実はおばちゃんにとって迷惑なのだということに気づけばいい。そのためには、自分がしている親切が本当に親切なのかよく考えて、よく観察すればいい。

けれど、それができない。だって親切しているときの自分ってとっても気持ちがいいから。周りを観察するというよりも自分がどう見られているのかを気にしてしまう。

人に親切にしようと気づいたのであれば、その親切がその人にどう影響を及ぼすのかまで見届けられるとなおいいのかもしれない。

と書いたけれど、中には親切でもなんでもなく、ただお盆を戻すのが当たり前だと思い、あるいは食べ終わった皿は台所に持って行くという子どもの頃の習性がそのまま残っているという人もいるのかもしれない。

一度、おそらくこういうそば屋に入るのは初めてなんだろうなという女性が食べていたことがある。その女性は食べ終わると何の躊躇もなくそのまま店を後にした。

盆をも度さなかったその女性を一概に責めることはできない。

今でもそのそば屋に行くと、食べ終わった盆をおばちゃんに持って行きそうになる。その度におばちゃんの「そのままでいいですよ」という声が飛んでくる。だから僕は、店が混んでいないときにだけ盆をおばちゃんに渡すようにしている。

盆を戻そうが、戻すまいが、ごちそうさまでしたという気持ちに変わりはない。