こだわること
道具にこだわるという経験をしたことがあるだろうか。
以前ならあったかもしれないが、最近ではなくなりつつある。それは道具がただ便利なものになってしまったからだ。言うなれば平均化だろうか。どれも同じ値段、同じ品質であまり違いがなく、求められる機能をそつなくこなす道具ばかりだ。そりゃ当然だろう。それが道具の役目だからだ。
普段一番よく使っている道具は何だろう。僕の場合はパソコンだ。これは僕だけじゃないと思う。マックかウインドウズかという違いはあるが、僕にとってそこにこだわりと言えるほどのものではない。一般的にそうだろう。その証拠にいつまでも古いパソコンを使い続ける人はあまりいない。OSがアップデートされ便利な機能が追加されたら喜んでアップデートする。「いや、おれはこのバージョンが好きなんだ」という人もたまにはいるかもしれないが、それはこだわりとは少し違う気がする。
これじゃなきゃだめなんだよなあ、みたいな道具を持っているとかっこいいのにと思う。それがアナログな道具だとなおいい。そんな道具を最近見つけたのだ。
ボールペンだ。
誰だって使ったことのあるボールペン。様々な種類があるが、正直どれも同じようなものだ。このボールペンじゃないとだめなんだ、と言えるほどのものがあるとは思えない。これまでも会社の備品や家に何気なくあるボールペンを使ってきた。一本使い切ることなく、また別のメーカーの別の種類のボールペンの封を開け、気づいたら中途半端なボールペンがペン立てに満室のサウナにいるおじさんたちのように立っている(?)。
僕がそのボールペンをどこで手に入れたのか、実は覚えていない。手に入れた当初は会社の備品かと思っていたのだが、こんなボールペンは備品にはない。いつの間にか僕のバッグに入っていたのだ。
初めて使ったときの感想は「あ、書きやすい」だった。まあ、そうだろう。書きにくかったらそのボールペンにこだわることなんてしない。書きやすいことは書きやすいのだが、そのボールペンで文字を書くと心が乗るのだ。我ながら稚拙な表現だと思うが、すらすらと手が動きもっと文字を書きたくなる。それが例えまったく意味のない言葉であったとしても(どこかの新聞社の社説でも手が勝手に動いてすべてチラシの裏に書き写してしまうほど)。
そのボールペンがこちらだ。
高いものではない。10本で1400円ほどだ。おそらくどこの文房具店でも売っているものだろう。これがとっても手に馴染み、力を入れなくてもすらすらと文字が書ける。今までボールペンでこんな経験をしたことはない。
まだ一本使い切っていないが、もし使い切ったらアマゾンで箱買いするだろう。
とかなんとかいいながら、このブログはキングジムのポメラ(五万円以上する電子機器)で書いている。
道具にこだわるというのはなかなか難しい。
道具だけではない。最近こだわるということをしなくなっているような気がする。物事を自分の意思で決めていないからではないだろうか。
こだわるのもパワーがいる。
それはこだわるという行為がとてもつなく強い意思決定だからではないだろうか。
"きちんと"こだわる、そんな生き方を取り戻したい。
生き方を取り戻すなんて、ちょっと言い過ぎかもしれない。
けれど、強い意志決定のある生き方は大切な気がする。