本とゲームとサウナとうんち

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縦と横、どっちがわくわくするか

 事故や災害などのニュースで最近よく目にするのが視聴者提供の動画だ。スマホの普及によって誰でも動画を撮影できるようになり、一人一人がニュースの発信者になれる。テレビ局もカメラマンを派遣することなく、直後の生々しい映像を提供してもらえるので重宝していることだろう。

 そんな視聴者提供動画を見ていてふと思ったことがある。ほとんどが縦動画なのだ。スマホが縦だから縦動画なんでしょ、と言われればそれまでなのだが、普段の生活で見ている映像はテレビや映画などそのほとんどが横動画だ。テレビにいたってはかつて4:3だった画角が今では16:9とより横に広くなっている。にもかかわらずスマホで撮影するときにはなぜか縦を選ぶ人が多い。片手で撮影できる、見返すときにスマホを横にする必要がない、という理由で縦で撮影する人が多いのかもしれない。かく言う自分はどうかと言うと、スマホにある動画データを確認してみたところ、ほとんど横で撮影している。縦で撮影した動画は確認できた範囲では一つもなかった。これまでそれほど縦と横を意識して動画を撮影してきたわけではないが、これを機会になぜ自分は横で撮るのか、なぜ縦で動画を撮る人が多いのかを考えてみた。

 まずは情報量だ。これは感覚かもしれないが、横動画の方が縦よりも情報をたくさん入れることができるような気がする。そんなことを考えながら街を歩いていたらポスターが目に入った。縦だ。一般的にポスターと呼ばれるものは縦長だ。紙のサイズの規格の関係もあるだろうが、横のポスターももちろんあるが、ポスターのほとんどが縦だ。看板も縦だ。情報を伝えるためのツールであるはずのポスターや看板なのに縦だ。看板についてはスペースの問題もあるだろう。しかし、ポスターも看板も縦が多い。これでは先ほどの「情報量の違い」という考えと矛盾してしまう。そこで考えた。動きがあるかないかではないだろうか。動きのあるものは横、動きのないものは縦と考えると腑に落ちる。なぜ動きのあるものは横なのか。それは世の中の動くモノは圧倒的に横の動きが多いからだ。道路を走る車や歩く人々は右から左、あるいは左から右へ移動する。一度立ち止まって自分の周りの風景をじっくりと見回してみて欲しい。視線は右から左、左から右へと横移動をしているはずだ。あまり縦に視線を動かすことはない。縦に動かすことがあるとすれば文章を読むときぐらいだろうか。文章だからポスターや看板は縦が多いのではないか。横にスクロールする文字を読むのと、縦にスクロールする文字を読むのとどちらがよみやすいか。僕は圧倒的に横だ。新幹線内で流れるテキストのニュースを思い浮かべてもらえれば実感できるはずだ。小説や新聞は縦書きの文字を読むのに、動きが付くと横が読みやすくなる。やはり人は横の動きを目で追いやすいのだ。つまり、僕が縦動画に違和感を感じるのは、動画なのに視線が横ではなく縦に動いてしまうから、なのかもしれない。縦に動かすというよりもスマホの縦動画はあまり視線を動かすことがない。カメラそのものを左右に動かして撮るのでその動画を見るときには視線をあまり動かす必要がないのだ。動画なのに視線を動かさない、ここに縦動画に対する違和感があるのかもしれない。

 ではなぜ人々は縦で動画を撮るのだろうか。それは縦が人をわくわくさせるからではないだろうか。ちょっと意味が分からないと思った人もいるだろう。子供の頃を思い出して欲しい。エスカレーターやエレベーターに乗る際にわくわくした経験があると思う。これは普段の生活ではできない、目にすることのない縦への動きに非日常のようなもの、未体験の喜びのようなものを感じていたのではないだろうか。思わずスマホをいじってしまうのもそこに理由があるのかもしれない。画面を指で縦に動かす。普段縦に移動するものを見る機会が少ないから縦移動の多いスマホをいじってしまうのかもしれない。シンプルにスマホが生活に必要なものという理由ももちろんあるが。

 風景はどうだろうか、見渡す風景と見上げる風景、どちらも綺麗な景色であれば感動するが、よりわくわくするのは見上げる風景ではないだろうか。

 僕はブログを縦書きで書いている。これもおそらく書いていてわくわくするからだと思う。

 今後物事を考えるときに縦という概念を意識してみると面白いものがうまれるかもしれない。なんの根拠もないが漠然とだが、縦に何かしらの可能性を感じた。