本とゲームとサウナとうんち

ライターが書くブログです。本とゲームとサウナとときどきうんちが出てくるブログです。

創作「階段」


 いつもより三十分早く起きた。お母さんとお父さんは不思議そうにしていたけれど「今日から三年生だもんね」と僕の早起きと三年生になることを当然のように結びつけて考えているようだった。たしかに、僕が三十分早起きをしたことと僕が今日から三年生になることとは全く関係がないわけじゃない。
 
 いつもの通学路に小学生は一人もいなかった。サラリーマンやOLといった大人たちばかりが黙々と歩いている。音もなくずんずんと前に進むその姿はまるで早送りをしているかのようだ。大人たちの歩く波に飛び込んだ。徒競走ではいつもビリかビリから二番目の僕だけど、今日は自然と彼らの歩くスピードに飲まれて早足になっていた。僕の気持ちが急いていたせいもあるのかもしれない。子どもたちの話し声はどこにもなく、僕の耳にはコツコツという大人たちの足音だけが重なって聞こえた。どの音がどの大人の足音かはわからない。下を見て歩く僕を足音だけがどんどん追い越していく。僕も同じように道路にかかとをたたきつけながら歩いてみたけれど、コツコツという音は鳴らなかった。

 まだ誰も登校していない校舎は人の重みがないからか少し膨らんでいるように見えた。玄関に並んだ下駄箱はどれも空っぽで、一人で靴を脱ぐ僕を監視しているようだった。それでも僕はいつものようにみなみちゃんの下駄箱を見ることだけはやめられなかった。

 バタンッっと大きな音がした。これ以上開くと目玉が落ちてしまうんじゃないかと不安になるほど僕の目は見開いた。一瞬にして体が動かなくなり、このまま下駄箱に食べられてしまうと思った瞬間、もう一度バタンッと音がした。もう一度バタンッ。そしてもう一度バタンッ。その音は規則的に少しずつ近づいてきた。何度も聞こえるその音に慣れていくにつれて僕の体の緊張もほどけていった。よく聞くとバタンッの前に小さくガーと聞こえる。ガー、バタンッ。ガー、バタンッ。

 体の緊張を完全にほどき校舎に入ると、誰かが廊下に面して並んだ窓を一つずつ開けながら近づいてくるのが見えた。この学校にいる大人の中でジャージを着ているのは三原先生だけだ。もしジャージじゃなかったら顔を見ても誰か分からなかったかもしれない。生徒たちというより、主に女子たちに人気の清潔感のある先生の顔には、黒か灰色かわからないヒゲがびっしりとこびりついていた。ひげだけではない。ヒゲだけではない。いつもは熱血で動きに無駄のない三原先生が、手をぶらぶらと振り、足の運びもふらふらとだるそうに歩くいている姿も見てはいけないものを見てしまったような気がした。誰にも会わずに教室まで行きたかった僕は隠れるように身をかがめて素早く廊下を横切ろうとした。

「きゃあああ」

 まるでサスペンスドラマで女性が犯人に襲われたときのような叫び声が校舎中に響いた。僕は身をかがめたまま体を止めて、顔だけを声のする方へ向けた。そこには尻餅をついた三原先生がいた。

「脅かすなよ」

顔がはっきりとわかる距離まで歩いてきた三原先生の声はいつもより低く少しイラついているようだった。

「すいません」

「幽霊かと思ったぞ。って朝っぱらから幽霊なんて出るわけないか」

 イラつきが生徒にバレるのを隠すように急におどけてみせた。

「つーか……あれ?……なんでこんな早いの?」

 まさか先生に会うなんて思ってもいなかった僕は、なんて答えればいいのか、本当のことを言うべきなのか口ごもってしまった。

「あ、そうか、今日から三年生だからか。そうかそうか、気合い入れて早く来たわけね」

 勝手に納得してくれて僕はほっとした。これで会話は終わったと思っていたら、今度はおまえが話す番だぞとでも言いたげに先生は僕の顔を見ながら何度もうなづいていた。こういうときに何を話せばいいんだろう。友達ともろくに話が出来ない僕が、そんなに話したこともない先生と何かを話すなんて無理だ。というより、たぶん、三原先生と話すのは今日が初めてな気がする。そして、先生はたぶん僕の名前を知らない。

「よし、じゃあ先生も気合い入れてがんばるかな」

 大きくうなずくと、さっきとは別人のように背筋を伸ばして職員室へと向かった。一人になりたかった僕は先生が職員室に入るまで二階へと続く階段の前に立ち、先生の背中を眺めていた。職員室の扉に手をかけた先生は何かに気づき急に振り返った。

「そうだ、教室、間違えんなよ」

 僕はどきっとした。先生が急に振り返ったことではなく、その言葉に、今日早く登校した理由を見破られたような気がしたからだ。さっきの位置から一歩も動いていない僕を不思議に思うことなく、先生は職員室へと入っていった。

 間違えるはずがない。うっかり二年生の教室に入るなんて。僕は一年生と二年生の教室の間にある階段を見上げた。
 見上げると階段の踊り場の窓から差し込む光がまぶしかった。一階からいつもこの光を見ていた。光の先に何があるのか、どんな世界が待っているのかいつもわくわくしながら見ていた。と同時にその光は僕の侵入を防ぐ結界のようにも思えた。階段を上ってはいけない、二階に行ってはいけないなんて校則はなかった。同級生の中には平気で階段を上り三年生や四年生の教室に遊びに行く奴もいた。彼らが階段を上る姿と上級生が上る姿は全然違った。光と重なり輪郭だけになった上級生の姿はとてもつなく大きく見えた。

 今日から三年生だ。上級生のようにこの階段を上ることができる。僕は一人で上りたかった。誰にも邪魔されずにこの光に立ち向かいたかった。三原先生という邪魔をなんとかクリアし僕はなんとか一人で階段の下に立つという最初の目標をクリアした。

 一段目に右足を乗せた。次に左を足を出した瞬間、僕は手すりを掴んだ。思っていたよりも傾斜がきつい。ゆっくりゆっくりと足を前へ上へ運ぶ。上を見ると光を遮るものは何もない。その光までの距離がとてもつなく長く思えた。僕は思いきって手すりから手を離し、階段のど真ん中を歩くと一歩ずつ確実に光へと近づいているのがわかった。

 踊り場は思っていたよりも狭く、暗くじめじめとした秘密基地のようだ。見下ろすと、この間まで使っていた廊下が一目で見渡せる。三原先生とあそこに立って話しをしていたのかと思うと、さっきまでの自分がいろんな意味でとても小さく思え、今ならもっと三原先生とうまく話せるような気がする。「先生、僕の名前知りませんよねえ」なんてへらへらしながら話せそうな気がした。

 僕は光の中にいた。もうまぶしくはない。踊り場の窓から見る校庭は僕が思っていた正方形ではなく長方形だった。対角線上に伸びた百メートル走用の白線は全然まっすぐではなかった。今なら二十秒ぐらいで走れそうだ。踊り場の光の中を抜け、二階の廊下へ足を踏み入れた。

 二階の廊下の窓から校門が見下ろせる。あんなに朝早く家を出たはずなのに、すでに生徒たちが登校し始めていた。上から見ると誰が何年生かわからない。みんな子どもだ。

 ぼんやりと焦点が合わなくなった僕の視線が一人の女の子にぴたっと合う。みなみちゃんだ。いつも同じ女の子二人と一緒に登校する。その二人の名前を僕は知らない。みなみちゃんが学校の敷地に一歩入ると男子女子問わずみんながみなみちゃんに駆け寄っていく。僕はそれを見てたまになぜか憎らしく感じることもある。けれど、そんな気持ちを抱くことは僕には許されない。僕はみなみちゃんには逆らえないのだ。もしみなみちゃんに二階の窓から飛び降りろと言われたら、僕は飛び降りるだろう。そんなことはしたくない。けれどそうするしかないのだ。もちろん、みなみちゃんがそんなことをいう確率は限りなくゼロに近い。

 友達の顔も名前もまだはっきりとは覚えていない入学して間もない頃だった。家だとあんなに平気でうんこができるのに、学校だとどうしてできないんだろう。こっそりうんこをする隙をうかがっていたけれどなかなかタイミングがつかめずひたすら我慢していた。僕はまだ自分の限界を知らなかったし、うんこをあんなに我慢するとどうなるのか想像する力もなかった。焦りや危機感もなく、気づいたら漏らしていた。強烈な臭いが僕のお尻から立ち上りまたたくまに教室に広がった。

「おい、こいつうんこの臭いがするぞ」

 四十五分の昼休みを僕はただトイレの前でうろうろして過ごしてしまった。昼休みはみんな校庭か体育館で遊ぶのかと思っていたらけっこうトイレに行く人が多くそのまま掃除の時間になり、僕は掃除当番である教室に戻るしかなかったのだ。そして、やばいと思ったときにはもう出てしまっていた。臭いだけなら逃げられると思っていた僕が甘かった。一人の男子が僕のお尻をかいであっけなくバレてしまった。僕にとって学校でうんこを漏らすなんて初めての体験だったし、教室にいた五人の男子にとっても学校でうんこを漏らした人を見るのは初めての体験だったに違いない。

 終わった。僕はうんこマンというあだなをつけられて小学生生活を送るのだ。みんな僕の名前を覚えることなくうんこマンという名前で六年間を過ごすのだ。そう思ったときだった。

「やめなよ」

 一人の女の子が険しい顔で僕たちを見ていた。みなみちゃんはおそらく僕がほかの男子にいじめられているとでも
思ったのだろう。

「何もしてねえよ」

 男子なら誰だってみなみちゃんには嫌われたくない。まるで始めからそこに僕なんていなかったかのように、みんなの興味はすでにみなみちゃんに向かっていた。僕はその隙にトイレに駆け込んだ。パンツに少しだけ付いたうんこは拭いて取れないこともない。それよりもあの場を抜け出せたことにほっとしていた。もしみなみちゃんがあの場に現れなかったら、僕はどうなっていただろう。この気持ちはありがとうでは表現できない。みなみちゃんが僕のうんこのことを知っていたかどうかわからない。「あ、うんこもらしちゃったの?」なんてみなみちゃんが言っていたら僕の小学校生活はもっと悲惨なことになっていたはずだ。絶対にそんなことを言うはずはないけれど、いつかみなみちゃんがそのことを誰かに言ってしまうのではないか。その思いは僕の中にふわふわと漂い、みなみちゃんの笑顔を見ると三回に一回ぐらいはその考えが浮かんでしまうのだ。僕はみなみちゃんに命を救われた感謝と同時に命を預けているような怖さも抱いていた。

 三年生になった今、みなみちゃんはもうそんなことは忘れているかもしれない。今さらお礼を言ったところで何の意味もない。一度もしゃべったことのない名前も知らない男子からいきなりあのときはありがとうなんて言われたら困るだろう。一つ言っておきたいことがある。さっきから当たり前のようにみなみちゃんなんて呼んでいるけれど、僕は一度もみなみちゃんと話しをしたことがない。だからみなみちゃんという言葉を声に出した事も一度もない。もし本当に話す機会があったとして僕は彼女のことをみなみちゃんなんて呼ぶ度胸はない。心の中で慣れ慣れしくみなみちゃんと呼ぶことで、どこかでみなみちゃんに負けていない自分を確認したいだけなのだ。いつかみなみちゃんがこっちをみてしまうのではないかと恐怖を押さえつけて僕はひたすら二階からみなみちゃんを見つめ続けた。

 みなみちゃんから目を離し、教室に入ると、窓から校庭が見渡せた。二階から見る景色は一階とは違う。校庭全体が見渡せて野球部の使うバックネットまで見える。校舎とは反対側にある裏門の向こうには、放課後に高学年がたむろする駄菓子屋も見える。重そうな引き戸と廃墟のような黒壁が、ここからだととても小さく、ただのボロ家にしか見えない。朝なのにすでに数人の高学年が黒壁の前に集まって何かを話している。その姿は、ただでさえ低く見える黒壁よりも低く小さく指でつぶせるほどだった。

 僕は窓を開けて大きく息を吸い込んだ。一、二年生の頃の空気をすべて吐き出し、自分の中の空気を三年生用に入れ替えた。何度も何度も繰り返すと少しずつ体が軽く、大きくなっていく気がした。

 振り返り教室を見るととすでに教室にはほとんどの生徒が登校していた。みんな二年生の頃と同じように、あるいはそれ以上にはしゃいでいる。僕は無意識にみなみちゃんを捜していた。捜さなくても自然に目に入ってくる。それがみなみちゃんだ。僕は思いきって五秒間だけみなみちゃんを見つめることにした。1,2,3,4,5,6。六秒も見つめてしまった。さっきまでのような恐怖心が少しだけ減った気がした。

 放課後の教室がこんなにもわくわくするなんて知らなかった。何をするわけでもない。誰かと話すわけでもない。教室の隅でどこにも焦点を合わせずにただただ立っていた。みんなが何を話しているのか、どうしてはしゃいでいるのかまったくわからない。僕はひとりっぼっちでもその楽しそうな空気をしっかりと吸い込むことが出来た。帰りの会が終わると真っ先に下駄箱に向かっていた僕にとって放課後という言葉は知っていたけれど、放課後という世界を想像したことは一度もなかった。窓の外に目を向けると、サッカー部と野球部と陸上部が器用に狭い校庭を使って走り回っていた。一瞬だけ部活に入ろうと思った自分にびっくりした。どうして放課後に残ったのかよくわからない。何かが変わるような何かが起こるような気がした。そのとき窓にみなみちゃんの背中が映り振り向くと男女数人を連れだって帰ろうとするところだった。ぼくはとっさにランドセルを背負った。

 みなみちゃんたちの後ろを十メートルぐらいの距離を保ちながら歩いた。後をつけているつもりはなく、僕はただ自分の家に向かっていただけで、その先にみなみちゃんたちがいるだけだと思い込んだ。右に曲がれば僕の家という交差点で、真っ直ぐ進むみなみちゃんたちの背中を見て、僕は迷わずその後を追った。

 みなみちゃんたちが辿り着いたのは交差点から十分ほど歩いたところにあるずっと昔に一度だけお父さんときたことのある空き地だった。僕はまるでさっきからそこにいたかのような空気感を出してみなみちゃんたちの集団に一歩近づいた。「あれ、おまえ家こっちじゃないよな」と言われたらどうしようかと思ったけれど、そんなことを言う人は誰もいなかった。そもそも誰も僕がそこにいることに気づいていないようだった。いきなりじゃんけんが始まり僕は慌てて輪の中に入った。すっと僕の前に立っていた男子が僕のために場所を空けてくれた。僕に目を向ける者も話しかける者もいなかったけれど、存在は意識してもらえていた。

 輪に入ると思ったよりも多くの人たちがいた。十人はいただろうか。僕は全員の顔と名前を知っていた。じゃんけんが始まったとき僕ははっとした。これはいったい何のじゃんけんなんだろうか。かくれんぼならまだいい。おにごっこならどうしよう。もし鬼になってしまったらずっと鬼のままかもしれない。十人もいるとなかなか鬼が決まらない。一人抜け、そしてまた一人抜ける。そして僕は最後の一人になった。

「どっちにする?」

 リーダー格の男の子が僕に聞いた。つまり、かくれんぼかおにごっこか、ということだ。か、と言いかけて僕は口を止めた。ある考えが浮かんだ。

「おにごっこ

 周りの空気が一瞬止まった。おまえ、やれんのか?という視線がものすごいスピードで飛んできた。いくつもの視線が顔に刺さったまま僕は数を数え始めた。十数え終わると僕は走り出した。誰でもよかった。目に付いた男子をとにかく追いかけた。もちろん追いつくはずがない。それでよかったのだ。僕は追いかけながら目の端に必ずみなみちゃんを捉えていた。男子を追いかける振りをして少しずつみなみちゃんに近づいていった。

 とても自然な感じだった。足の遅い男が男子を追いかけ回しなかなか鬼を代われない。そしてたまたま近くにいた女子にターゲットを変更し、タッチする。何の違和感もない。

 少し触れるだけでいい。みなみちゃんに嫌がらせがしたいわけではない。少し触るだけでいいんだ。それだけでみなみちゃんへの恐怖心を消せるような気がした。

 僕は近くにいたみなみちゃんを追いかけた。笑いながら僕に背を向けて逃げていく。なかなか追いつけない。ほかの男子を追いかけ回したせいで僕の体力がほとんどつきかけていた。

 もうあきらめようと思ったそのときだった。みなみちゃんが僕の目の前で転んだのだ。

 僕は足を止めてみなみちゃんを見下ろした。今なら簡単にタッチできる。けれど、転んだ女子にタッチして鬼を代わるなんてやってもいいものだろうか。しかも相手はみなみちゃんだ。それはできない。

「大丈夫?」

 と僕は手を差し出した。その自然な仕草に自分でも驚いた。

「ありがとう」

みなみちゃんは僕の手を取ろうとした。はっとした。みなみちゃんが僕の手を握ろうとしている。タッチするなんかよりももっとすごいことが起ころうとしていた。

「みなみちゃん、逃げて!」

「そいつ、鬼だよ!」

どこからか数人の女子の叫ぶ声が聞こえた。みなみちゃんは素早く自分で立ち上がると僕に背を向けて逃げ出した。僕は二、三歩みなみちゃんの背中を追いかけた後、近くにいた男子にターゲットを変えた。

 僕はその日、一日中鬼をしていた。がむしゃらに走った。こんなに走ったのは人生で初めてだった。走っても走っても全然疲れなかった。

盆を戻すか戻さないか

立ち飲み屋や立ち食いそば屋やラーメン屋で、食べ終わったあとにカウンターに器やジョッキを戻す。
誰もが経験したことがあるだろう。店によっては食べ終わった皿はカウンターに置いてください、なんて張り紙をしている店もあるが、そうでなくても食べ終わったらカウンターに器を戻し、台ふきがあればそれでテーブルを拭く。そこまでしてから店を出る。するとお店の人が大きな声で

「ありがとうございました!」

と言ってくれる。双方が気持ちがいい。とくに客である僕らはお気に入りのお店の役に立てたという感覚がある。

けれど、そうでないときもあるのだ。

会社のそばにある立ち食いそば屋に行ったときの話だ。店内は立ち食いスペースだけでなく椅子席もあるが、そんなに広くはなく一度に入れるのは多くても15人ぐらいだ。

店員さんは厨房に2人。フロアに1人。フロアには決まって背の低い声のよく通るおばちゃんがいる。顔なじみというほど通っているわけではないが、気さくで話しやすく常連さんともよく話をしている。

その店は券売機で食券を買い、カウンターに置くとおばちゃんがそばかうどんかを聞き、それを大きな声で厨房に伝える。そばができると、客が取りに行く。まれにおばちゃんが席まで持ってきてくれるときもある。

そして、ここからが本題だ。その店は狭さからか返却口というものが存在しない。だから客は食べ終わると器の乗った盆を持って厨房のそばまで持って行く。するとおばちゃんが受け取ってくれる。ほとんどの客がそうする。立ち食いそば屋では見慣れた光景だろう。

しかしそのときおばちゃんはこう言うのだ。

「そのままでいいですよ」とか
「そのまま置いといてくださいね」とか
「ありがとうございます。そのままでいいからね」とか

つまり、食べ終わった盆を席に置いたままにしといていいのだ。いつもその言葉を聞き、おばちゃんはわざわざ盆を戻しにくる客に気を遣っているんだなと思っていた。

そんなある日、いつもなら店が混まない午後2時ぐらいに行くのだが、その日は打ち合わせなどの関係で一番混む時間帯に行った。そこそこ混んでおり、次から次へと客が入っては出ていく。いつものようにおばちゃんの声が響く。
普段とは違いてきぱきと動くおばちゃんを見ているとあることに気がついた。

食べ終わった盆を客がおばちゃんに持って行くとおばちゃんの動きが止まるのだ。フロアを1人でまわしているおばちゃんにはやることがたくさんある。しかし、その動きが客が盆を戻すことでいちいち中断されるのだ。

もしかして「そのままでいいですよ」というのは客を気遣う気持ちがあるのはもちろんだが、おばちゃんが自分の仕事を円滑に進めるために言っているのではないかと思ったのだ。

客の中には盆を置いたまま出て行く客もいる。すると、おばちゃんはまず自分がやることを済ませ、そして盆を取り店の置くにある流しに持って行き、そしてまたフロアに戻ってくる。その動きはとてもスムーズだ。しかし、そこに客が持ってくる返却の盆が入ると、ブレーキがかかる。

うん、そのままでよかったのだ。おばちゃん、ごめん。おばちゃんのためを思って親切でやっていたことが、実はおばちゃんの仕事の邪魔になっていたなんて。

そのことに気づいた僕は心を鬼にして、食べ終わった器が乗った盆をそのままにして店を出た。

次の日、行ってみるとおばちゃんは相変わらず「そのままでいいですよ」と言っている。そして客は相変わらずおばちゃんに盆を渡している。絵に描いたようなありがた迷惑だ。しかし、それに気づいている人はいない。だからこそありがた迷惑なのだが。

ありがたいけど、迷惑。すれ違いだ。いいとか悪いとかではない。けれど、このすれ違いをなくすとすれば迷惑な方が行動を改めればいい。つまり、盆をおばちゃんに渡すことが実はおばちゃんにとって迷惑なのだということに気づけばいい。そのためには、自分がしている親切が本当に親切なのかよく考えて、よく観察すればいい。

けれど、それができない。だって親切しているときの自分ってとっても気持ちがいいから。周りを観察するというよりも自分がどう見られているのかを気にしてしまう。

人に親切にしようと気づいたのであれば、その親切がその人にどう影響を及ぼすのかまで見届けられるとなおいいのかもしれない。

と書いたけれど、中には親切でもなんでもなく、ただお盆を戻すのが当たり前だと思い、あるいは食べ終わった皿は台所に持って行くという子どもの頃の習性がそのまま残っているという人もいるのかもしれない。

一度、おそらくこういうそば屋に入るのは初めてなんだろうなという女性が食べていたことがある。その女性は食べ終わると何の躊躇もなくそのまま店を後にした。

盆をも度さなかったその女性を一概に責めることはできない。

今でもそのそば屋に行くと、食べ終わった盆をおばちゃんに持って行きそうになる。その度におばちゃんの「そのままでいいですよ」という声が飛んでくる。だから僕は、店が混んでいないときにだけ盆をおばちゃんに渡すようにしている。

盆を戻そうが、戻すまいが、ごちそうさまでしたという気持ちに変わりはない。

ごめん、志村。ありがとう、志村。

志村けんが死んだ。

僕はその知らせを病院で知った。妻の付き添いでけっこう大きめの総合病院にいた。妻の採血を待つ間、ふとスマホを見ると、


志村けん(70)死去

という文字と、いつ撮影したのかわからない笑顔の志村けんの写真があった。

病院という場所もあったのだろうか、何か現実ではないような、時間が止まったような感覚になった。

志村けんが死んだのだ。それは理解できた。コロナに感染したのは知っていた。けれど死ぬなんて思いもしなかった。

死去という文字とその笑顔を見て、呼吸をしているけれど、呼吸が止まったような僕だけの動きが止まったような、そんな感覚だった。



30代後半の人なら、初めて見たお笑いが志村けんという人は多いと思う。僕もそんな一人だ。

とは言っても僕はドリフ世代ではなく、かとちゃんけんちゃん世代だ。断然、志村派だった。志村けんがテレビの中にいるだけでワクワクした。何もしていなくても、志村が出ているだけで楽しかった。

漫才をするわけでもない、コントをするわけでもない。いや、きっと当時、それはコントだったのだろうが、僕にとってそれは「志村」だった。お笑いが好きというよりも志村が好き、志村が面白かった。

今のお笑いも当然おもしろい。けれど、それはネタの面白さだ。M-1チャンピオンのミルクボーイのネタは面白い。けど、彼らを見ただけではワクワクしない。

裏番組でウッチャンナンチャンやるならやらねばが始まっても僕は志村派だった。


そんな僕だったけれど、大人になるといつの間にか志村で笑わなくなっていた。志村に注目しなくなっていた。志村死亡説なんてゴシップも流れたときもある。あの禿げ頭をみっともないと思ったこともあった。僕は志村を必要としなくなっていた。

いつだっただろうか。当時僕は広告制作会社に勤めており、深夜に帰宅するのが当たり前だった。身も心も疲れ切った体を座椅子に投げ出しテレビをつけると、そこに志村がいた。コント番組のような、すべてアドリブのようなゆるーい番組だった。すっかり歳をとった志村を見て僕はなぜかとても落ち着いた。そしてワクワクした。子どもの頃、志村を見てワクワクした気持ちほどではなかったが、その日の仕事を少しだけ忘れることができた。その番組が何曜日の何時からなのかはっきりとはわからない。けれど、それからも深夜に帰りふとテレビをつけるとそこには志村がいた。

それからゴールデン帯でも志村を見るようになった。志村動物園なんて番組が始まったときはさすがに、なんで志村が、と思ったが、動物に向ける志村のやさしい顔を見るとなぜか落ち着いた。

そんな志村が死んだ。

僕は今まで芸能人の死に対して興味を持ったことは一度もない。ましてや泣きそうになったことなんてあるはずがない。

しかし、今回は違った。妻と志村の話をしようとすると言葉が詰まってしまうのだ。志村が死んで泣くなんてなんだかかっこ悪いと思い必死で涙をこらえた。

けれど、追悼番組や昔の映像を見るとどうしても目頭が熱くなり、息を止めないと涙が落ちてしまう。

なぜこんなにも、悲しいのか。それはやはり志村が子どもの頃のヒーローだったからだ。


そしてもうひとつ気づいたことがある。志村はどことなく親父に似ているのだ。あそこまで禿げてはいないが、顔の雰囲気は似ていると思う。そしてひょうきんなところも似ている。もちろん、志村のようなギャグはしないがうちの親父も今でも冗談をよく言う。

志村の死の知らせを、遠い実家に住む親父の死の知らせのように僕は受け取っていたのかもしれない。

もっと志村で笑っておけばよかった。大人になってからもバカ殿を見ておけばよかった。一度ぐらい志村の舞台を見に行きたかった。

生き残った人間は勝手なことばかり言う。

ごめん、志村。
ありがとう、志村。

こだわること

道具にこだわるという経験をしたことがあるだろうか。

 

以前ならあったかもしれないが、最近ではなくなりつつある。それは道具がただ便利なものになってしまったからだ。言うなれば平均化だろうか。どれも同じ値段、同じ品質であまり違いがなく、求められる機能をそつなくこなす道具ばかりだ。そりゃ当然だろう。それが道具の役目だからだ。

普段一番よく使っている道具は何だろう。僕の場合はパソコンだ。これは僕だけじゃないと思う。マックかウインドウズかという違いはあるが、僕にとってそこにこだわりと言えるほどのものではない。一般的にそうだろう。その証拠にいつまでも古いパソコンを使い続ける人はあまりいない。OSがアップデートされ便利な機能が追加されたら喜んでアップデートする。「いや、おれはこのバージョンが好きなんだ」という人もたまにはいるかもしれないが、それはこだわりとは少し違う気がする。

これじゃなきゃだめなんだよなあ、みたいな道具を持っているとかっこいいのにと思う。それがアナログな道具だとなおいい。そんな道具を最近見つけたのだ。

ボールペンだ。

誰だって使ったことのあるボールペン。様々な種類があるが、正直どれも同じようなものだ。このボールペンじゃないとだめなんだ、と言えるほどのものがあるとは思えない。これまでも会社の備品や家に何気なくあるボールペンを使ってきた。一本使い切ることなく、また別のメーカーの別の種類のボールペンの封を開け、気づいたら中途半端なボールペンがペン立てに満室のサウナにいるおじさんたちのように立っている(?)。

僕がそのボールペンをどこで手に入れたのか、実は覚えていない。手に入れた当初は会社の備品かと思っていたのだが、こんなボールペンは備品にはない。いつの間にか僕のバッグに入っていたのだ。

初めて使ったときの感想は「あ、書きやすい」だった。まあ、そうだろう。書きにくかったらそのボールペンにこだわることなんてしない。書きやすいことは書きやすいのだが、そのボールペンで文字を書くと心が乗るのだ。我ながら稚拙な表現だと思うが、すらすらと手が動きもっと文字を書きたくなる。それが例えまったく意味のない言葉であったとしても(どこかの新聞社の社説でも手が勝手に動いてすべてチラシの裏に書き写してしまうほど)。

そのボールペンがこちらだ。

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高いものではない。10本で1400円ほどだ。おそらくどこの文房具店でも売っているものだろう。これがとっても手に馴染み、力を入れなくてもすらすらと文字が書ける。今までボールペンでこんな経験をしたことはない。

まだ一本使い切っていないが、もし使い切ったらアマゾンで箱買いするだろう。

とかなんとかいいながら、このブログはキングジムポメラ(五万円以上する電子機器)で書いている。

道具にこだわるというのはなかなか難しい。

道具だけではない。最近こだわるということをしなくなっているような気がする。物事を自分の意思で決めていないからではないだろうか。

こだわるのもパワーがいる。
それはこだわるという行為がとてもつなく強い意思決定だからではないだろうか。


"きちんと"
こだわる、そんな生き方を取り戻したい。

生き方を取り戻すなんて、ちょっと言い過ぎかもしれない。


けれど、強い意志決定のある生き方は大切な気がする。

役に立たない仕事術

アニメーター
webライター
コピーライター
フリーター
webディレクター
フリーライター
ライター

今まで様々な仕事をしてきた。仕事の数だけ、いや、仕事の数以上に転職を繰り返してきた。今までやってきた仕事の中で一番楽しかった仕事はどれかと聞かれれば、アニメーターでもコピーライターでもフリーライターでもなく、フリーターだ。ヤマダ電機の地下倉庫で商品管理もどきと品出しをしていたフリーター時代が僕の人生の中で一番楽しくストレスのない仕事だった。

 


楽しかったヤマダ電機の地下倉庫

仕事内容は本当につまらない。朝の6時に到着するトラックから荷物を下ろし、検品をし、売り場に運ぶ。開店したら倉庫で待機し売り場にいる社員から注文を受けたら走って運ぶ。生産性ややりがいやクリエイティビティなんてものからほど遠い仕事だ。なのになぜか楽しかったか。それは一緒に働いていた人が皆おもしろかったからだ。そこで働いているのは派遣会社の日雇い労働者ばかりだ。日雇いと言っても皆レギュラーで入っている。しかし、見た目や言動は日雇い労働者だ。差別でもなんでもない。そうなのだ。自分もそうだった。

それ以外の仕事はどうだったのか。アニメーターもコピーライターも自分から望んで就いた職業のはずだった。にもかかわらず、ストレスだけがたまった。仕事内容が思っていたのと違うという若者にありがちな理由もあっただろう。しかし、一番の要因は人だ。必ず合わない人が一人はいる。一人ならまだいい。けっこう大勢いるものだ。人から受けるストレスは、仕事内容のストレスの比ではない。どんなに嫌な仕事でも仲のいい人とならそれほど苦にはならない。これは誰もが経験したことがあるだろう。


人を排除する

つまり、仕事がしんどいのは仕事のせいではない。
人のせい、ということだ。

だから仕事から人を排除する。
これが39歳になった僕が辿り着いた仕事術だ。

ちなみにこの仕事術は、

「別にしたい仕事をしているわけではないけれど、生きていくためには働かなければならないし、それなりの年齢だからそれなりの仕事をしないといけないけど、やっぱり会社辞めたいなと思っている人」

向けの仕事術である。

どうやって人を排除するのか

例えばAさんから案件を任されたとする。通常であればAさんの案件だからAさんの迷惑にならないようにとか、Aさんの要望を満たすようにとか考えるだろう。これではストレスがたまる。そこで人を排除するのだ。「Aさんから任された」という意識を頭の中から削除するのだ。ただ「自分がやるべき仕事」と思うだけでいい。仕事の用件を満たし、指定された期日までに終わらせることだけを考えるのだ。こんな提案したらAさんはどう思うだろうか、なんて考えなくていい。こんな提案をしてみよう、でいいのだ。そこに人を入れないのだ。



メールからも人を削除する
例えばメールやチャットで仕事の依頼が来たとする。

「おつかれです。Aです。この間話していた甲の件ですが、~な理由で乙にすることになりました。なので資料をまとめてもらえますでしょうか。できれば明日までにもらえるとうれしいです。」

このメールから人を排除するとこうなる。

「明日までに甲を乙にする。」

これだけを頭に入れて仕事をするのだ。

「明日までってなんだよ、Aのやつ」とか、「おつかれです」とか「うれしいです」とか、人の要素を含む部分を排除して自分がすべきことだけに注目する。

では人に仕事を頼むときにはどうするか。逆のことをやればいい。自分がしてほしいことだけに注目するのだ。敬語や丁寧語や細かいことは気にしなくていい。ときにそういうところに注目する人もいるかもしれないが、気にしなくていい。びっくりマークもいらない(とはいえ、時に、多少の思いやりは必要だ。大人だから。)。

板挟みもなんとかなる

たまには理不尽なこともあるだろう。仕事で人と関わって一番な理不尽なことと言えば板挟みだ。こればっかりは回避できないと思うかもしれない。

「Aさんはこう言ってるけど、Bさんはこう言ってるんだよなあ。どうすればいいんだよ。けど二人ともめんどくさい人だから意見したら何言われるかわかんないしなあ」

 

なんて考えてしまうだろう。これはまったく時間の無駄だ。人を排除するのだ。つまり板挟みであることを受け入れ。両方の言い分の仕事をしてしまうのだ。

Aの仕事をし、Bの仕事をする。するとおそらく双方から「おいおい、これじゃ用件満たしてないよ、もっとこうしてよ」と言われるだろう。言われたらその通りにやればよい。腹を立ててはいけない。腹を立てるということはそこに人がいるということだ。人は排除しなければならない。自分が為すべきことをとりあえずしてしまうのだ。これを繰り返すことで例え板挟みだったとしても活路が見いだせることがある。つまり行動するのだ。仕事から人を排除すると、すべきことが明確になるのですんなりと行動に移すことができるようになる。


頭の中で人を排除する

そんな仕事の仕方をしていたら孤立するんじゃないかと思う人もいるだろう。人を排除しろと僕が言っているのはあくまで頭の中だけの話だ。人前で人を排除しろと言っているのではない。だから打ち合わせはけっこう大変だ。人の意見が次から次へと頭に入ってきてしまう。人、人、人だ。このときばかりは社会人として本気を出してもらいたい。

仕事中は孤独になろう

しんどい仕事の裏にはたいていしんどい人がいる。しかし、実際に仕事をしている最中はその人は関係ないことのほうが多い。

とはいえ、いきなり人を排除するのは難しい。なのでこれを実践して欲しい。職場で仕事をしているときはなるべく人と話さない、人に話しかけない、人に話しかけられないようにする。そして、人の話し声を聞かないようにする。こうすることで、徐々に自分の頭の中から人を排除できるようになるはずだ。

時の流れとは何か

時の流れとは何かを考えた。なぜこんなことを考えたのか。哲学でもなんでもなく、自分のブログの最終更新日を見たのがきっかけだった。

最終更新日は2019年の8月4日。およそ7ヶ月も書いていない。7ヶ月も僕は何をしていたのだろうか。思い出そうとするけれど、思い出せない。

時の流れとは何か。簡単に言ってしまうと、数字だ。数字の変化。つまり時間の変化(前進)が時の流れだ。

僕たちは毎日時計に操られて生きている。それは時に操られて生きているとも言える。

さらに時の流れについて考えるきっかけになったのが僕の年齢だ。今年39歳になる僕は、今回で何回目かわからない転職をした。もう39か、と時の流れを考えた。また数字だ。時間も年齢も数字だ。

数字でしか時は感じられないものなのだろうか。そこで数字以外の時を考えてみた。思い付いたのが動きだ。何かが動くということは時が流れていると言える。秒針が今ある場所から次の場所へ動く。そう考えると時計も数字ではなく動きで捉えることが出来そうだ。今こうして文字を打っていることも動きだ。指が動いている。つまり時が流れている。

では、数字でもなく動きでもなく、時を感じる方法はあるだろうか。じっと何もせず止まっていても時は動いている。時は、動きがなくても流れている。とはいえ、それを感じることはできない。唯一感じられるとすれば鼓動だろう。心臓の鼓動は何もせずにいてもドクンドクンと時を刻んでいる。体中に血液を送っている。

流れだ。血液の流れは、時の流れ。つまり時は心臓が作りだし、血液がその流れを作っている。そして細胞分裂という動きを生む。だから、僕たちはじっとしていても心臓が作り出す時の流れに乗り年老いていくのだろう。

では石に時の流れはあるのだろうか。花を咲かせ葉を散らす木や草には時の流れがあるように思う。地面に転がっている石はどのように時を感じているのだろうか。風化という現象で時を感じているのだろうか。こう考えると、時の流れのないものというものは、ないのかもしれない。

できれば時の流れなど感じずに生きたい。しかし、それは許されない。心臓だけのせいではない。時を感じざるを得ない最大の理由、それが地球の自転だ。

夜眠ると朝が来てしまう。夜という時、朝という時。この二つのせいで、時に追われてしまうのだ。この反復が、時を嫌なものにしている気がしてならない。

時を表す反復という行為もなかなかにしんどい。しかし、心臓も反復だ。地球の自転もある種の反復だ。

時とは反復なのか。ある一方方向に動いているとばかり思っていたけれど、実は、同じところをぐるぐると回る、地球のように、血液のように、ただただ同じことを繰り返すのが時だとしたら、少し悲しい。

だから人は考えるようになったのかもしれない。どんなに時が反復であったとしても、人の頭の中は反復しない。心臓が鼓動を打つたびに考えはころころと変わる。これこそが時の意義なのかもしれない。

明日の自分は今日の自分とは違う。手垢の付いた表現だが、こう思いながら生きていかないと時の反復に飲み込まれてしまうのだ。

 

そして書いていて気づいたことがある。僕が嫌っているのは時ではなく時間なのだと。時は金なりという言葉があるが、この「時」は「時間」の意味で使われている。

時間は確かに操れない。しかし、時は考え方次第でいかようにも操れるのではないか。

 

時を操り、時の反復から抜け出さなければ本当の人生はやってこないのかもしれない。

 

仕事も時間なんだよね。だからしんどいんだろうねえ。

例えばそれが落ちているだけで

道に落ちているものに興味を示すのは小学生ぐらいまでだろう。分別がつく年齢になると何が落ちていようが関係ない。財布やバッグなど自分に役に立ちそうなものなら拾うかもしれないがそんなものが落ちていることは滅多になく、落ちているもののほとんどがゴミや役に立たないものだ。

その役に立たないものを見て何か考えることはないし、次の瞬間には何が落ちていたかも忘れてしまう。

 

しかし稀になぜそこにそれが落ちているのか考え込んでしまうこともある。

 

僕が勤めている会社は東京でも有数の歓楽街にある。中心部にはクラブや飲み屋が立ち並び、街の外れには皆で話し合って建てたかのようにラブホテルが並んでいる。

 

乗り換えの関係で、僕は会社の最寄駅は使わずに一つ離れた駅から歩き、その途中でラブホテル群の前を通る。とあるラブホテルの前を通った時だ。そのホテルの隣にはホテル所有ではなく時間貸しの駐車場がある。

 

そこにそれは落ちていた。

 

コンドームだ。封の空いたコンドームだ。しかも使用済みで中にモノが入ったままのコンドームだ。

 

こういう街なら外でやっちゃう輩もいるだろうな、と目を背けて通り過ぎた。

 

しかし、なぜかそのことが頭から離れなかった。使用済みで中にモノが入っているというなかなかビジュアル的にパンチが効いていたせいもあるだろうが、そうではなく「なぜ隣にラブホテルがあるのにわざわざ危険を冒してまで外でやったのか」という違和感があったからだ。

 

外でそれをやるのはかなりリスクだ。逮捕される可能性だってあるだろう。目の前にラブホテルがあるにもかかわらず、なぜそのリスクをとったのか、どういう状況なら外でせざるを得なくなるか考えてみた。

 

●ホテルに行くお金がなかった

駐車場の隣にあるラブホテルは決して安いとはいえない。ホテルに行くお金がもったいないと考えた二人は、「夜だし、あまり人も通らないし(その駐車場がある通りは人通りが少ない)外でやってしまおう」ということになったのだろうか。

 

●我慢できなかった

ホテルが目の前にあるにも関わらず、受付する時間すらも我慢できずにその場でしてしまったのだろうか。

 

●誰かに見せたかった

そういう癖のある二人だったのだろうか。

 

●そういう撮影だった

なるほど、外でやる企画ものだったという可能性もある。しかしその場合、終わったらきちんとADさんが片付けるべきだろう。小さなプロダクションだったのだろうか。

 

●一人でした

これも大いに考えられる。コンドームを使うのに二人いる必要はない。一人でも使える。しかし一人でしたければわざわざ着ける必要はない。もしかするとその人は着けないといけない癖の人なのかもしれない。

 

●車内で

この可能性が一番高い。駐車場に車を停め、車内でし、そこに捨てた。ホテルの近くまで来たけれど車内でしてみようよ、なんて盛り上がったのだろうか。

 

おおよそ考えられる可能性はこれくらいだろう。

 

落ちているもの、しかも役に立たないものの奥にこれだけのストーリーがあるかもしれないと思うと人間を理解することの難しさを感じた。

 

可能性は、今僕がここに挙げた他にもまだまだある。さらにいずれかが正しかったとしてもその時の気持ちは人それぞれだ。使用済みコンドームが落ちている理由、その時の気持ちを考えると人間という存在の宇宙を見た気がした。

それからも毎日そのラブホテルの前を通りすぎるたびにあれが落ちていないかなぜか探してしまう。大事な何かを見落としている気がするのだ。そしてある朝、ホテルを見上げた僕はもう一つの可能性を見つけた。

 

●ホテルの窓から捨てた

路上に捨ててあるということに引っ張られて、屋外で使用したのだと思い込んでしまっていた。屋内も考えられるのではないだろうか。

事が終わったあとに、よくわからないノリになった二人はホテルの窓を開け使用済みコンドームを投げ捨てたのだ。このホテルは一階がホテル所有の駐車場になっており二階からが客室だ。どの客室からでも軽く投げれば隣の駐車場にまで届く。

 

一番あり得ない可能性だが、これが一番人間らしいと僕は思った。

 

●落ちているものをめぐる話はこれで終わりではない

 

こちらの写真を見て欲しい。

 

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とある街の路上に靴が落ちていた。しかも片方だけ。この光景を見た瞬間にこの靴から目が離せなくなった。なぜ片方だけなんだ?両方落ちていたらここまで強く違和感はなかっただろう。そしてこれが手袋なら見過ごしていただろう。

 

なぜ手袋なら見過ごしていたのか。それは路上に手袋を落としてしまうシチュエーションを容易に想像できるからだ。はめていた手袋を何かの都合でポケットに入れ落としてしまったとか、バックに入れていた手袋が何かを取り出した拍子に落ちてしまったとか。

 

しかし靴はそうもいかない。靴は屋外では常に履いているものだ。うっかり脱げたとしてもすぐに気付くはず。そしてなぜ両方ではなく片方だけが落ちていることに強く違和感を感じたのか。それは僕たちが靴というものを2つで1つと認識しているからだ。あるはずのものがそこにない違和感が路上に落ちた片方の靴から強く発せられていた。

 

その証拠にその靴のそばを通る人たちは皆靴に注目し指差したり笑ったり、中にはふと視線を落とした先に転がったそれを見つけて「うお!」と声をあげる人もいたり、踏みつけそうになり慌てて犬のフンを避けるかのように大げさに体をひねって通り過ぎる人もいた。

 

なぜ片方だけ落としてしまったのか。考えてみよう。

 

●酔っ払って

酔っ払って片方の靴が脱げたことに気づかなかったのだろうか。

 

●引越しの途中で

軽トラックの荷台に載せた段ボールに入れた靴が揺れで落ちてしまったのだろうか。

 

●友達のイタズラ

遊びに来た友達が帰るときにイタズラで片方だけ持ち出して路上に放置したのかもしれない。

 

●風で飛ばされた

ベランダに干していた靴が強風で飛ばされ路上に落ちてしまった可能性もある。

 

●何かの実験か作品か

そして、僕が一番可能性を疑ったのがこれだ。あまりにも不自然なその光景、違和感、その違和感に翻弄される通行人を見ていて、これは何かの実験、あるいは作品なのではないかと思うようになったのだ。

 

周りの建物を見回してみたがカメラを回している人はいない、しかしどこかに隠しカメラがありこの反応を楽しんでいる可能性がある。

 

こんなにもエンターテイメントが溢れている今、たった一足の靴、しかも片方だけの何の役にも立たない靴が人を楽しませている。

 

誰かが仕掛けたアート作品なのではないかと思えてしかたないのだ。

 

それからまたしばらく眺めていたが何も特筆すべきことは起こらなかった。夜に再び見に行ってみると脇に移動させられてはいたが、やはりそのままだった。

 

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夜になってもそのままということはこの靴を落とした人は片方なくなったことを受け入れたということだろう。その人にとってその靴はどうでもよかったのだ。

 

●落ちているモノと落ちている場所の関係性。

コンドームは落ちているモノは普通だが場所に違和感があった。靴は落ちている場所は普通だが片方だけというモノに違和感があった。

 

いろいろなことが自動化・効率化・合理化される今、違和感というものは減ってきている。なぜならそういった技術や考え方は違和感をなくすためにあるからだ。そして違和感は何の役にも立たない。

 

けれど違和感には強烈な人間らしさが宿っていると思うのだ。

ラブホテルの隣の駐車場に落ちていたら使用済みコンドーム、路上に落ちていた片方だけの靴。人間でしかなし得ない。

 

そしてこの違和感、人間らしさを見つけた時少しだけ心がホッとするのだ。